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ついに私も年号が3回変わった時代を生きて来た。
それだけ自分は歳を取ったのであるが、考えて見れば 戦後生まれであるが、終戦時にはお腹の中で 暴れていたのであろう。 昭和は私の取っては、仕事に明け暮れた時期であり、 平成は海外と病に悩まされた時であり、それを考えると 良く生きて来た。 今の自分があるのは母のおかげであり、今年も母の命日月に 函館に変える事を決めたし、そこまでには自分の身体を鍛えたい。 昭和は父に対して反発した事によって、自分なりの生き方を 学んだ時代であり、その面では父に対しては恨みも消えていた。 確かに父の暴力で母は小学6年の初めに亡くなったが、 それに関しては父を恨んでいたが、父を看取ったのは 私であり、それだけ自分を成長させてくれたと思う。 また、愛する人を亡くする悲しみは、母以外でも経験したし 波乱万丈の時代であったと思えるが、それを支えてくれたのが 最初の妻であった事は間違いない。 平成は私の取っては愛する人に言っていた様に海外に行き 仕事が出来たが、病に悩まされる事が多かったと思う。 海外で死にかける状態になったりしたが、4年間は仕事が 出来たのと私の計画案件でODAも通り、その組織で 私が最初で最後の派遣期間の長さと、計画案件を行った 実績が出来た。 ただ、帰国後に大腸癌になった事が余計であったが、 それでも再度、短期であるが海外で仕事をさせて貰った事も 自分なりに良かったのであり、帰国後に大震災が起きて 新たな自分の行動が出来たり、友達が出来て良かったと 思うが、波乱万丈は終わってくれない事は、私が生きている 証拠なのであろう。 その波乱万丈も自分で作っているのだから、自己責任であり 行動する事が、自分の信条として終わらせてみたいと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.02 06:08:07
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