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2010.08.17
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カテゴリ:私の視点

  この夏は、花火大会に2回行った。僕って、花火大会が好きなもんで。
  今年は、東京・埼玉の境を流れる荒川の河原と、佐賀県・唐津の海岸で見た。華やかな大輪を惜しげもなく連発した荒川も、海面で開く扇が水面に映り上下で円形になる「水中花火」を連発した唐津も、それぞれに良かった。
  花火の魅力は、大輪の花がパーッと開いたかと思うと、それがスーッと消えてゆく、その時自分が大きな夜空に、たった一人で吸い込まれるような感覚がある。その一瞬がたまらない。
  花火の、このはかなさは、春の桜の「花吹雪」と共に、日本人の「美学」に合っているように思える。崩れゆく、滅びゆく、その一瞬に永遠を見る、とでも言おうか。
  一方、7年ほど前の夏、映画祭でお馴染みの仏カンヌの海岸で見た花火大会は、かなり趣が違っていた。彼の地の花火大会は、広い夜空をキャンバスに見立て、それに様々な色や形の花火で絵を描いている様な感じ。とても、デザイン的。それに野外のロックコンサートの様な大きなスピーカーを砂浜に据えて、花火に合わせて大音響で音楽を流している。まさに、光と音の総合舞台芸術を見ている様な花火大会だった。消え行く美より、作り上げてゆく美。
  この違いは、何だろうかと考えた。日本では、どうして音楽付きの花火大会が無いのだろう(僕が知らないだけで、どこかでやっているのかもしれないが)? それは、音楽のように持続し構成的な美と、ドカン、ドカンと一瞬の儚さを競う、日本の花火大会とはマッチしないからなのだろうか。
  日本は、地震国で、幾ら永久に残るものをと願って、がっしりした建物などを構築しても、何十年かに一度は必ず地震やそれが引き起こす火災で崩壊してしまう、そんな自然環境が長い間に、そこに住む人の心情に、「消え逝く儚い美」に対する特殊な好みを育んでしまったものだろうか。日本の花火大会は、そうした日本人の好みに合っているのかもしれない。
  日本の都市が、中国、インドや欧米のように石を積み上げて、ガッチリとした構造を重ねてゆくより、簡便な木造で、いつでも立て替えられるようになっているのも、その表れかもしれない。
  この夏、花火を見て、そんなことを考えているうちに、さらに別のことに気がついた。日本の政治である。国家というものを、歴史的に見ながら将来像を大きくデザインして、そこから割り出して、今何から手をつけたら良いかという構築的な提示が、どの政党からも得られない。政治家の口から出てくるのは、その場しのぎの短期的な景気対策や、党利党略、何処かの国への一時的なご機嫌取りばかり。
  流動する世界情勢の中でのこの国の役割や、長いスパンでの経済の行方を見据えた議論が無い。つまり、全てその時、その時の対処療法ばかりで、一時的。論理性に欠ける。
  国民も、選挙のたびに、そうした長いスパンで政治家を選ぼうとせず、「景気を良くして」「増税はイヤだ」「米軍基地の抑止力は現実に必要だ」などと、短期的な要求ばかり。僕なんか、そういう「世論」をテレビの街頭インタビューなどで言っている人を見ると、「景気とは循環するものだ。いつも景気が良いなんてことはあり得ない。それより日本の産業構造をどうしてゆくかの議論だろう!」。「国の形を決めないで税金の議論は出来ないだろうに!」。「現実って基地被害を放置しながら戦争を煽るってことなのかよ、それとも本気で核戦争をする気か?」と反論したくなってしまう。つまり発想が、「花火見物」や「桜のお花見」的で、論理的でも構築的でもないのだ。
  沖縄・普天間問題は、世界の中での日本の歴史を直視した上で、今後の日本を世界の中でどう位置づけるかという構築的な視点から「日米安保」を見直さないと、民主党でも他党でも、解決できないのではないか。それなしに「花火」のような一瞬の「美学」で、騒音や危険被害を放置したり、先祖が残してくれた美しい珊瑚の海を潰されたのでは、たまらない。
  「一瞬の消え逝く美」は、夏の花火や春の桜なら良いが、政治や都市計画では、御免蒙りたい。「花火」や「桜」と、「政治」や「国づくり」は、はっきり別物だと思う。「国民性」を言うなら、この2面を区別して考えたい。












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Last updated  2010.08.17 21:52:15
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