3連休ともなると、そのどれが「敬老の日」なのかわからなくなる。
とりあえず
「その日その時間しか行けない」ということで、
ばあちゃんのところへ。
敬老=75歳以上と思っているせいか、
それともまだ自分の世代のばあちゃんがいるせいか、
父ちゃん母ちゃんたちを「敬老の対象」とは思えないので、ギフトも何もなし。
ばあちゃんにお菓子。
最近ばあちゃんは
ご飯前後に深く手を合わせるらしい。
我々が行ったら、
「ありがたいことでした。お世話になりました」
って
山形弁でもないのになぜ「過去形」
全てにおいて
「生かされている」
「ありがたいこと」
前からそうは言っていたけど、最近は、昔の話をよくするらしい。
前に行った時、
「ばあちゃん、昔のことはばあちゃんしか知らないんだから、
いっぱい今のうち話しておいたほうがいいからね~」と言ったからか?!
同居の家族は
「なんだかねぇ」と心配してる。
今回もいろんな話を聞いてきた。
電信柱のない時代の話。
鉄道が通ったときの話し。
子捨川の伝説。
毎度の姥捨山の伝説。
仕事で行けなかった大にこまごま報告してやると、
「ばあちゃんも神の域にちかづいてんな~」と。
まさにそんな感じ。
「そういえば神社の先代はなくなる前日までその辺歩いてたから、
神に近くなると、元気に神のとこにいけるんだよ、きっと。ばあちゃんもかもな」
・・・神とか仏とか、離れているようでとっても身近に育ったヒトの
セリフだなあとちょっと感心してしまった。
さすが偉大なるばあちゃんのマゴだよ。
姥捨て山の話は、ヒマゴが珍しくじっと聞いていたけど、
帰りの車の中でおさらいしたら、
「おばあちゃんを隠したんだよ」
ってそれだけ・・・?
まあそれだけでも、
コメの神様の話と
姥捨て山はきっとどこかにちゃんと残るでしょう・・・