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「八朔回り踊り」は音頭出しを中心に、まるく輪を描いて 独特の身振り手振りで踊り歩く盆踊りで、 今も9月頃に八坂神社で行われていて、 阿波踊りとともに夏の夜の風物詩となっているようです。 子供の頃、「八朔回り踊り」に何度か行った記憶はあります。 さっっちゃんに連れて行ってもらったのは 私が2~3歳のことなのでしょう、全く記憶にはありません。 さっちゃんがこんな行事に行ったことに、とても興味を覚えます。 syun ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「八朔踊りの夜は更けて」(1) あれは終戦の翌年ぐらいのことであったのだろうか。 人々は長い戦争の間、途切れていた行事を、 一つ一つ思い出しはじめていた。 この小さい山峡の町でも、半月ほど前には 戦後はじめての盆踊りとて、衣装のそろわぬまま、 浴衣のない若者は、戦禍の届かなかった山里ゆえ 着ずにしまっていた暑苦しい色模様の 女の長襦袢や着物を着て、どさどさと、真黒い脛を出して、 ただめちゃくちゃに手足を振るだけの 野暮ったい踊りに酔い狂った。 私たちは、徳島市に住んでいて、 戦前の粋な色街の芸者衆の鳥追い姿や、 いなせな法被姿や、涼しそうな白地の浴衣の 軽やかな踊りを見て来た眼で、 「あんな踊りはあわおどりではない」などと、 はじめのうちは軽蔑し、あきれ顔で見物していたが、 その異様な踊りが、みるみる町の人々の顔に、 笑いを蘇らせてゆくのを見て、 これこそ民衆の踊りの本来の姿なのだと納得した。 このようにして、すべてに乏しい中にも、 ささやかな盆の仏まつりを済ませて、 朝夕の涼しさに、ホッとし始めた頃、 八朔というから旧暦の八月一日、 新暦では九月も半ばごろになっていたのだろう。 私たちは戦災に遭って以来厄介になっていた叔母の勧めで、 弟を連れて八朔踊りを見に出かけた。 阿波おどりしか知らなかった私にとって、 山里の情緒豊かな周り踊りは物珍しく、今もなお、 あの夜の酔いしれた群舞の熱気のなかに 立ちつくした感動を忘れることはできない。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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