カテゴリ:カテゴリ未分類
「藍の風」ミニエッセイより 「お寺の鐘」 数年前この家に引っ越してきた年の大晦日に 突然耳元で除夜の鐘が鳴り出して驚いた。 なるほど、お寺の門前に住んでいるのだなあと 改めてその実感に浸ったのだった。 赤ん坊が泣き出だすとか、騒音公害だといわれて、 観光地でない限り鐘が鳴らなくなった。 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 子規 この句の味わいも、やがて理解されなくなるだろう。 そして 砧(きぬた)打て我に聞かせよや坊が妻 芭蕉 (宿坊の妻よ、秋の夜のしじまに、哀愁を帯びた、 かの碪(きぬた。砧)を打つ音を響かせてはくれまいか) の砧同様鳴らぬ鐘はやがて姿を消してしまうかもしれない。 それとも金色に塗られて、 寺院のアクセサリーとして生き伸びるかも。 でも、それは歌を忘れたカナリヤを思わせ、 図体が大きいだけに尚更、憐れである。 昭和五十五年十月 「俳句とエッセイ」 十二月号に掲載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|