大梅寺
愛子(あやし)の蕃山(ばんざん)にある大梅寺(たいばいじ)。雲居禅師(うんごぜんじ)は、全国に173ヶ寺を開山し、天皇にも禅を講じたほどの高僧で、政宗公が松島瑞厳寺を創建する際開山に懇請されたが請けず、政宗公が亡きあと遺言によってその誠意に心を打たれ、やっと瑞厳寺の開山に報いた。27年間にも及ぶ雲居禅師へのラブコールは、政宗公亡き後にようやく叶ったが1648年、雲居退寺し、洞水が二世となる。1650年、禅師は愛子の蕃山を終焉の地と定めて庵を置き、この山をこよなく愛した。すぐ近くには五郎八姫の住む西舘があり、1657年に根白石の永安寺を開山し、1659年に入滅78歳。蕃山の山頂に埋葬される。古い石段の参道両脇には、個性豊かな羅漢たちの石像が並ぶ。大梅寺は、「観光客お断り」の空気ムンムンで、庭園から先の門は固く閉ざされていた。よって、住職にお会いすることためらわれ 雲居禅師の座禅姿の原画を拝見することはできなかった。庭園内には、伊達家の別荘「郷六御殿」が移築されている。雲居禅師と伊達家の関わりの深さを実感。蕃山はハイキングコースになっていて、この日も数名の登山グループとすれ違った。山頂の開山堂にはまた別の機会にお参りするとして、青葉神社へ向かう。結婚式の準備で忙しい片倉宮司さんだったが、「ちょいとあがりなさいよ」と言って広間に堂々飾られた絵を見せてくださった。真田幸村の家臣の末裔の方の作品で、政宗公の命日(5/24)に間に合うようにと先日青葉神社に寄贈されたそうです。敵方なれど、幸村は自分の子供を片倉小十郎に託した。そのとき、子供たちを仙台に送り届けたのであろう家臣の子孫である作者が、なんとこの現代に至って恩義と敬意を表し、2年がかりで仕上げたという大作です。満月(陽)の中に口を開けた龍(陽)をバックに、三日月(陰)の兜の政宗公。みごとです 400年の時を経てなお、政宗公にかかわる人たちが、絶え間なく訪れる青葉神社。片倉宮司と陰陽師イナベノ清明(せいめい)青葉神社に直接買いに来られる方が急増中。ネット通販はコチラ。