カテゴリ:キリスト教
また教会で借りてきてしまいました。
こども教理絵本シリーズ8 「聖書ってなあに?」より 聖書は、道路ひょうしきのようなものです。 聖書を通して、かみさまは、ぼくにどうしてほしいか、 どうしてほしくないかを教えて下さるからです。 かみさまは、ぼくがかみさまの教えを知って、 してがってほしいと思っておられます。 ― 道路ひょうしきにしたがうように。 また、一条ゆかりさんの漫画「天使のツラノカワ」より ”十戒”について。 「しっかし・・・すごいよね これ 殺すな 姦淫するな 盗むなだもんなあ わざわざ書かなくっても常識じゃないねえ」 「今はそうでも この当時はひどいんです 欲しければ盗むし 姦淫するし じゃまだと 殺したりしたんです 日本だって大昔はそうだったんですよ」 「つまり・・・聖書って神さまによる人間育成書?」 ここで私は思いました。 これってほんとに常識として浸透してる? 毎日、殺人だ放火だ交通事故だと、ニュースのネタがもりだくさんですよね。 平和だから、みんなが常識ととらえて、ルールを守って生きていると 思ってる。でも、自分の行動範囲の人たちのなかに、たまたま犯罪者が いないだけなんじゃないかと思います。 横断歩道が赤信号でも、車がこなかったら、さらっと渡っちゃったり したことないですか? たしかに、大昔に比べたら、常識になっていると言えるかもしれません。 でも、2000年以上たっても、人間って思っているほど進化していないなあ、 と思うのは私だけでしょうか。 小さな子供のころは、素直に大人から教わったルールを守ろうとします。 でも、それは自分の考えではないから、当然大きくなっていくにつれ 疑問に思っていきます。 思春期になればなおさら・・・。 おとなから教わった、自分のものになっていないルールという習慣。 それに反抗するのって、結構あたりまえな事だと思います。 そうやって自分のものにしていくのかも。 逆にたいして疑問に思わず、人にいわれた通りに動くことになれた おとなは、キレたら簡単にルールから大きくはずれてしまうような ・・・気がするんですけど、どうでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
July 7, 2009 06:49:08 PM
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