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カテゴリ:懐古主義
アニキと一緒の子ども部屋の壁に、いつからか貼られていた一枚のポスターがありました。
キリスト教の尼僧の格好をした、若い・奇麗な女性のポスターです。 当時アニキが読んでいた、映画の雑誌の付録のポスターでした。 その映画の題名が『ブラザー・サン・シスター・ムーン』。 この映画、知っている人はどのぐらいいるんでしょうか? 当時はまだ子どもで、余程の事でもない限り映画など見る事もありませんでした。 私がこの映画を実際に見たのは、何時なんだろう? たぶん仙台に住んでいたころだと思います。 感動でした。 主人公は『アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)』と呼ばれる、キリスト教の聖人です。 アッシジの裕福な商家の息子、フランチェスコは十字軍の遠征から傷つき、半死半生で帰国した。 数日間、熱にうなされるフランチェスコ。 そして、熱から醒めた彼は変わっていた。 彼は神の声を聞いたのか? 彼の考えは、キリストの教えそのものなのです(と私は思います)。 ※以下の引用は『懐かしの映画館』~ブラザー・サン・シスター・ムーン(1972・伊)より (引用開始) 父親の織物を路上の投げ捨てるフランチェスコ。 「物は心の重荷だ、すべて投げ捨てろ!」 地上では落ちてくる織物に群がる人たちが殺到した。 父は激怒し、フランチェスコを殴りつけた。 「一緒に喜びを!私たちの宝は天国にあります!地上の富は無価値です。捨てろ、皆で捨てるのだ!」 フランチェスコは尚も叫びつづけた。 父にはフランチェスコのやることがとても正気の沙汰とは思えない。 「お裁きをしてもらおう!今すぐに」 父は息子を教会の広場まで引きずっていった。 騒ぎに食事を中断された司教は迷惑そうに出てきた。「何事か・・・」 「こいつは、私の財産をどうでもいい奴等に投げ与えたのです!」 と父。 するとフランチェスコは司教に訴えた。 「鳥のように生きたい・・・自分の魂を取り戻したいのです。私は生きたい、野の暮らし、丘に行き、木に登り河に泳ぐ・・・この足で大地を確かめたいのです。私は貧者になりたい。キリストも貧者でしたし、その使徒も・・・その自由が欲しい。・・・もう息子ではない・・・肉からは肉しか生まれず、霊は霊からのみ生まれるのです」 司教は唖然とした。父と母は声を失っている。 フランチェスコは衣服を脱ぎ捨てると、 「・・・もう父も子もない・・・家を捨て兄弟を捨て、父を捨て、母を捨て、子を捨て、畑を捨て、天なる父を求める者は次の世で100倍も報われる・・・」 裸になったフランチェスコは教会の広場からゆっくりと出て行った。人々は天を仰ぐ。 司教は何も言えず声を押し殺していた。『・・・自分よりも上だ・・・』 (引用終り) その後、フランチェスコは平原にある今や廃墟と化しているサン・ダミアノ教会の再建に着手します。雪のアッシジの中、裸足のフランチェスコは一人、石を積み壁を固めていく。その姿は、周りの人々に徐々に影響を与えて行きます。 みんなの力で再建された教会。彼らにひかれ、にぎわうサン・ダミアノ教会。その代わりに町の教会は人もまばらになってしまいました。 ちょっと長くなりますが、『懐かしの映画館』~ブラザー・サン・シスター・ムーン(1972・伊)より 引用させていただきます。 (引用開始) 滝の落ちる水辺で信者たちが憩っていた。ここでは皮膚病の患者も癒されるのだ。その時、 「教会が!大変!」 クララが叫び駆けつけた。町の司教が手を回しサン・ダミアノ教会に火を点けたのだ。抵抗した信者が一人殺されていた。 「何故だ?どうして、こんなに人が人を憎むのか!・・・私のしたことが間違いだったのか?・・・」 フランチェスコは苦悩し、「誰かに教えを・・・そうだ、あの方なら!」 フランチェスコの考えたあの方とはローマ教皇のことであった。 (引用終り) (引用開始) 裸足のフランチェスコたちがローマへ出向いた。厳かな教会の最上段に教皇インノケンティウス3世(アレック・ギネス)が座っていた。 「何か言うことがあれば言うが良い、許すぞ」 教皇は言った。 フランチェスコはパオロの書いた原稿を読み始めたが、すぐに止めた。そして教皇に向かって言う。 「・・・何故です?・・・空の鳥は種を撒かず刈らず取り入れることもしない・・・だが神が養いたまう・・・あなた方の誰がいくら想い患っても寿命が延びますか?何故、富を思うのです?野の百合を見なさい、労せず紡ぐこともしない・・・ソロモンの栄華も及ばぬその美しさ・・・信仰の薄い人たちよ、何を食べ何を飲み何を着るかと思い悩む・・・それは異邦人が求めることです・・・何より神の国と正義を求めなさい、そうすればその他もおのずと与えられる!」 フランチェスコは両手を上げて叫んでいるのだった。 「何だ!我々に説教か!けしからん!」 教皇の側近たちは怒り出した。 「宝を地に積むのは無益です、富は天に積みなさい、そこには虫もサビもなく、盗賊もいない・・・宝を捨て心に生きるのです」 フランチェスコは尚も続けた。パオロはその様子を絶望の表情で見つめている。 教皇の顔がこわばっている。側近が口々に叫んだ。「徴兵を呼べ!」 「不敬だ!」 「つまみ出せ!」 フランチェスコたちは兵に引っ立てられ外へ。パオロは追いかけた。「僕も仲間です」 パオロはフランチェスコの教皇を前に自論を述べた勇気に圧倒され打たれたのであった。 「あの男を呼び戻せ!今すぐここに」 しばらく沈黙していた教皇インノケンティウス3世は目を開けると言った。 呼び戻されたフランチェスコたちがひざまづくと、教皇はゆっくりと階段を降りた。 「何が望みか?」 教皇がフランチェスコに言った。 「・・・ある日、気が付いたのです。ヒバリのような無欲が真の幸福の元ではないのかと・・・我々を造られた神への感謝を謳って暮らせば・・・そのことで教えを頂きに来たのです・・・」 とフランチェスコが答えると、 「そなたたちは野の鳥に神の声を聞くことができる。その上何を?・・・聖職についた頃、私も皆と同じ気持ちだった・・・だが、時とともに熱意も薄れ教会政治の業務に忙殺される身となった。私たちは富や権力の厚い殻を被っている・・・そなたたちの貧しさの前に私は恥じる・・・フランチェスコ・・・キリストの御名において皆に真理を説きなさい、そして限りなく信徒が増え栄えることを私は祈る・・・」 教皇のこの言葉だけでもその場にいた人々には奇跡に近いものだったが、その後に起きた出来事は更に我が目を疑う出来事であった。 何と、教皇はそのまま身をかがめ、乞食のようなフランチェスコの薄汚れた泥まみれの足にくちづけしたのである。 (引用終り) このシーンは圧巻でした。 厳かな教会の長い階段の最上段に座っていた教皇インノケンティウス3世が、フランチェスコたちの元へと降りてくる。フランチェスコとの会話。素朴な身なりを見、己の豪華な身なりを恥じる教皇。そして身をかがめると、フランチェスコの足にくちづけをする・・・。 教皇インノケンティウス3世、素晴らしい!さすがに教皇だ!! ところが、その裏で囁かれる言葉。 「安心しろ。これで貧乏人どもがおとなしくなる・・・」 左右のものに支えられて豪華なガウンを羽織ると、階段を登り、最上段に着座する教皇。 その姿はまぎれもなく、元の、権威・権力の象徴としての『教皇』そのものだった・・・。 けっきょくは教皇自身による演出だったのか??(どうかなァ??) 彼、アッシジの聖フランチェスコはその後フランシスコ会を創始し、生涯を清貧のうちに過ごし、弟子たちとともに各地を放浪し、説教を続け、後に聖人に列せられました・・・。 何故突然にこのような題材を選んだのかというと・・・DVDが手に入ったからです! ビデオは持っています。テレビ版・ビデオ版で2本ぐらい。 でもやはりDVDとして持っておきたかった。それが・・・1,500円で手に入るとは・・・。 私の稚拙な文章よりも、その感動は一目瞭然! スンゴイうれしいっす! ”愛されるより 愛したい 空を飛ぶ 鳥のように・・・” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月15日 12時09分10秒
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