みかんの木を育てる-四季の変化

2011/07/30(土)05:15

小林多喜二が『オルグ』を書いた、丹沢の七沢温泉「福元館」

富士山、相模の自然、真鶴(167)

神奈川県の七沢温泉「福元館」へ行ってきました 7月23日(土)、本日は、休養日にしていました。 ところが、気持ちというのは気まぐれです。 家で一日中、ゴロゴロしているよりはまし、と思い立って、 神奈川県の大山のすそ野、丹沢にある七沢温泉「福元館」に行ってきました。                                 (7月23日) ここで、日帰り入浴をして、骨休めをしてきました。 近年、この福元館は、歴史の舞台として話題になっています。 この福元館の5代目館主が、2000年にそれまで秘話だったことを、新たに公表しました。 『蟹工船』の著者である作家小林多喜二との係わりに関してのこと。 当時、小林多喜二はプロレタリア作家同盟を支援した活動により、治安維持法違反で追及され、拘禁されていたそうです。 1931年1月に保釈・出獄したものの、『蟹工船』が「不敬罪」にあたるとされ、さらに警察からの手配追及をうける身となっていたという。 この中で、多喜二は、1931年の3-4月には、この「福元館」にかくれて執筆活動をしていたという。彼の著作『オルグ』は、その時に書かれたものだ、ということが明らかにされました。逗留した別棟への階段のわきには、碑文のプレートが設置されていました。 この解説のプレートは、前回来た時にはありませんでした。 去年、新たに設置されたばかりのものでした。その多喜二が泊まった建屋は、保存のため復元改築されてました。前に来た時は、こんな綺麗なガラスはなかったのですが。 以前の形を、そのままに残すように、修理されていました。 、 この建屋は、本館に対して、道一つへだてた離れですが、 ここで、多喜二は『オルグ』を書いていたのだそうです。当時の様子が、そのままに、大事に保管されていました。 歴代の館主が、大事にしてきたことがうかがえます。 じつは、この地域は、 明治5年-15年ころは、「自由民権運動」の盛んな地域だったそうです。 そうした歴史の流れの中で、歴史風土の中で、 1931年(昭和6年)に3代目館主が多喜二をかくまったのだそうです。 「自由民権」の志が流れていて、治安維持法により追及される多喜二をかくまい、 その執筆生活や活動を守り、大事にしてきたということです。 当時の館主の娘さんは、「福元館」の案内チラシに紹介されてますが、 「番下駄をからからと音をさせて、丹前をふところ手に、とんびだこのような格好をして(本館の)風呂にこられる多喜二さんの姿をちょくちょく見かけました」と語っていたそうです。神奈川県丹沢、大山のふもとの七沢温泉。 そこは八か所くらいの旅館施設しかないんですが。日帰り入浴もしています。 そこは東京の都外にあって、もっとも手近で、静かな骨やすめの地です。 この歴史の秘話が、私などには一つの縁になっているかもしれませんが。 それがあっても、なかったとしても、よい温泉であることにはかわりません。 大山のふもとの温泉は、ph9.9という強アルカリ性の温泉で、つるつるになります。 いずこも低温なので、加温していると思いますが、泉質は上々です。 丹沢・大山の周辺に点在する、かくれた湯治場です。 小林多喜二のかくまわれた場所だったとの、新たな史実が明らかになって、 七沢温泉は、新たな関心が当てられるようになって来ていますが、 忌わしみ隠すことではなく、先人が大切に守ったものが現代に光輝きだしている。 「七沢温泉と小林多喜二」は、新たな静かな関心をよんでいます。 福元館のホームページ http://gold.zero.jp/thattori.13.e7/index.htm     

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