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巡る季節を楽しみながら・・・

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2010年10月03日
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カテゴリ:おでかけ

一度は訪ねてみたいと思いながら ようやく来られました
「奥の細道むすびの地」

記念館へ入ると学芸員の方が懇切丁寧に説明して下さいました
松尾芭蕉は貞享元年(1684)から元禄4年(1691)にかけて4回、大垣を訪れているそうで、その内
有名なものが元禄二年(1689)の「奥の細道の旅」で、そのむすびの地となるのが大垣だそうです。

    最初に大垣を訪れたのは「野ざらし紀行」の旅の途中、俳友.谷木因(ぼくいん)を訪ねた
    のが始まりで、以後3回来られています。芭蕉と木因とは京都の北村季吟の門下生でした。
    当時、大垣の俳諧は大垣10万石の城主戸田公の文教奨励もあって、谷木因の指導のもと、
    大垣藩士らを中心に盛んでしたが、芭蕉の4回にわたる大垣への訪れは大垣俳檀に新風を
    吹き込みました。

IMG_4083.JPG

     左 谷木因   中央 芭蕉          芭蕉さんの出身地伊賀上野から来られた            右 奥の細道に同行した弟子の河合曾良      熱心な方も学芸員の説明を受けていました。
   
IMG_4080.JPG       IMG_4081.JPG

芭蕉が旅をした奥の細道の旅図 と芭蕉
「奥の細道」
芭蕉が弟子の河合曾良を伴って、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵を
出発し全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間(約半年)中に東北・北陸を巡って
元禄4年(1691)に江戸に帰った。「奥の細道」では、8月21日頃大垣に到着するまでが書かれている

イメージ.jpg

「むすびの地」・・・
旅を終えた芭蕉は9月6日には、俳友の谷木因やら大垣の俳人たちに見送られ、
「蛤のふたみに別行秋ぞ」の句を残し、伊勢神宮の遷宮参拝の為、この船町港から桑名へ
舟で下ったそうで今は四季公園となっています(写真は大垣市のHPからお借りしました

musubi2[1].jpg

~150日、旅程6百里~気が遠くなるような旅を芭蕉さんは歩いてされたのですね~
大垣の街には「ミニ奥の細道 芭蕉句碑めぐり」
といって、「奥の細道」全行程2,400Kmを2.2Kmに
見たて代表的な20句を選び句碑と句が詠まれた土地の説明板がたてられているんですって!びっくり

「中山道赤坂の宿」と「芭蕉の足跡を訪ねた旅」・・・
良いお勉強になりました~音符
 





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最終更新日  2010年10月04日 22時07分03秒
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