テーマ:猫のいる生活(138972)
カテゴリ:猫
この猫を題材にした私小説風エッセイを初めて読んだのは、十数年前だった。そのころうちではまだ猫は一匹も飼っていなかった。ましてや将来、何匹も飼うことになろうとは想像すらしていなかった。 ではなぜ読んだのか。 ひとに読め読めと、半ば強引にすすめられたのである。 後味は、あまりよいものではなかった。本全体からすればわずかしか触れてないことなのだが、著者が猫虐め、つまり動物虐待をしたときの文章が、一番強く印象に残ってしまったのだ。看板にいつわりあり、と思ったほどだ。 その本を、いままた取り出したのは、著者の猫虐めの後悔のほうもあわせておぼえていたからである。 いま私は、ニコを意識的に虐めた記憶がないことに、救われている。 死の病をえてしまったニコを見つめながら、私は心のなかでよくこういっていた。「ニコちゃん、おまえをこんな病気にしてしまったのは、もしかしたら、お母さんにどこか手落ちがあったからかもしれない。だけど、ニコちゃんを虐めようと思ってしたことは何一つないからね。何をやるにも、みんなニコちゃんによかれと思ってやってきたことばかりなんだよ。だから、許してくれるよね」 もし、ニコを意識的に虐めていたら、と思うとぞっとする。すると、いまごろになって、著者の後悔のほどが、つらさが、よく理解できるような気がしてきて、この本を読み直してみたくなったのだ。 ほんとうは、この本は、猫への愛で満ち満ちているのだった。「後悔したってはじまらない!」と著者を嫌悪した、当時の自分の単細胞加減が恥ずかしくなってくる。 甚五郎という猫の臨終の場面など、わがニコと重なって涙があふれて仕方がない。本文から、すこし引用してみよう。 彼は、私に何かもの言いたげだった。 「捨て猫のぼくを、きょうまで育ててくれて感謝します」 そう言うつもりだったのだろうか。そんなことよりも、私こそ、「ありがとう、本当にありがとう」と、甚五郎に伝えたかったのだ。 私は、甚五郎のなきがらのそばで、そのまま朝を迎えた。 著者のこんな言葉も、今の私には、心に染み入る。 愛するものの死によって、すべてが帳消しになるわけではない。深い悲 しみの記憶と同時に、生きる喜びを共有したころの思い出が、真珠のようなにぶい輝きを放ちつづけるのもたしかであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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