テーマ:猫のいる生活(138970)
カテゴリ:猫
これほどひどい大雪と寒波に見舞われると、ついノラ猫たちのことが気になってしまう。といっても、どのあたりのどの子とはっきり顔が浮かぶわけではない。暖かい寝床と食べ物にありつけないで凍えているであろう、不特定のノラ猫たちのことを思ってしまうのだ。 犬の散歩から帰った夫が、公園では雪に横穴をほり、その中で丸くなって寒さをしのいでいる子がいたという。晩秋には、吹き寄せられた落ち葉の中にもぐって眠る子の話をよく聞くが、雪の中というのは初耳だった。 今、我が家でぬくぬくと暮らしている小雪も、じつはいまと似たような大雪と寒さのなかで出会った、ノラ猫だった。さきおととしのクリスマスの翌日のことである。 名前は、小雪。からだの模様からすれば、まだら雪とか吹雪のほうが似つかわしかったかもしれない。でも、女の子だから、と深雪か小雪に絞って、けっきょく小雪に決めた。深雪もかわいい名だが、人に多くつけられている。猫を呼んだはずなのに、誰かひとを振り向かせたら申し訳ない。 雪にこだわったのは、この子の運命に雪がまつわっていたからだ。 2003年のクリスマスの夜から翌朝にかけて、町は、まれにみる大雪に見舞われた。近くの川沿いの車道は、除雪が後回しになって、夕方になっても徒歩でやっと行き来できる状態だった。 そんな道をスーパーマーケットへ向かって歩いていると、いつどこから現れたのか、つかず離れずついてくる猫がいる。私たちが立ち止まると猫のほうも立ち止まり、私たちが歩きだすと猫も歩きだすといったぐあいだった。 情が移るからかまってはダメだ。心の鬼の出番である。すでに我が家には、六匹の猫がいる。これ以上飼うのは、もう無理なのだ。 しかし、私の心の鬼は、肝心なときにしらばくれてだんだん狸寝入りをはじめるしまつ。どうやら夫のほうも同じらしかった。どうしても、その猫を追い払うことができないのだった。 猫はとうとう、スーパーマーケットの入り口近くまでついてきてしまった。明るい灯の下でよくみると、猫はガリガリにやせていた。まだ子猫のようだが、その顔つきはかわいいどころか、とがってなんだか恐ろしくさえ見えた。 そそくさと買い物をしながら、気がつけば、猫缶をひとつ買い物籠に入れていた。店の外に出たときに、もしあの猫がいなかったら、うちの猫にやればいいと思いながら。 店の外に出ると、猫はちゃんと待っていた。というより、人影がほとんどないので、誰でもいいから頼ろうと思ったら、さっきと同じ人間だったというところかもしれない。 物陰で、缶詰を与えると、感極まった声を上げながらまたたくまに平らげてしまった。そして、また私たちの帰り道を、今度は、ぴったりとついてくるのだった。 私たちが立ち止まると、猫は凍り始めた雪の冷たをさけるためか、前足を交互に地面から離すしぐさを繰り返す。これをみて私たちの頼りない心の鬼は、ついに熟睡状態にはいってしまった。 とりあえず縁側にダンボール箱の仮小屋を作って、湯たんぽを入れてやった。が、私たちが中に入ってしまうと、ガラスにへばりついて、何かを訴えるように鳴きつづけるのだつた。 そこで、先住の猫たちに試して、もう飽きてほうってあった、猫の気持ちがわかるという×××リンガルを近づけてみた。 驚いたことに、液晶画面に浮き出た言葉は、「ヘルプ・ミー」だった。それまで、気まぐれな答えを出す、猫好きのための”あてにならない玩具”くらいに思っていたが、このときばかりは、すごい器械だと、恐れ入ってしまった。 「ヘルプ・ミー」といわれても、ノラ猫はどんな病気を持っているかわからない、すぐ家の中に入れるわけにはいかなかった。ただ名前だけは付けてやった。 あくる朝、小雪が水のような下痢をしていることに気がつき、動物病院に連れていった。衰弱がひどいので、このままだと命の保証はできないといわれ、即入院ということになってしまった。 小雪は一週間ほどで退院したが、命はとりとめたものの、おなかの具合が相変わらず悪かったため、けっきょく家の中で面倒を見ることになった。 プラスチックの大型キャリー・ケースにいれられた彼女が、そこから出してもらえるのは、食事と薬と掃除のときだけだった。そんな生活が、えんえん春先まで続いたが、彼女はよく耐えた。 かくして、うちの子になった小雪に、いまもう一度、×××リンガルを近づけてみたら、果たして、なんと出るか。今日(昨夏)写したこの写真をながめていると、「小雪、いまはとっても幸せよ」といってくれそうだが…。 (昨年七月の日記・補記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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