見のがした孵化と羽化
こうしてかわいい雛たちを見ていると、無事な巣立ちを祈る一方で
なんとも残念に思えてくることがあります。
それは、雛たちが卵から孵る瞬間を見逃したこと。
親鳥が鳴こうが騒ごうが、ヒヨドリはもともとそういう鳥だと決め込ん
でいたばっかりに、我が家の白樺に巣があり、そこに卵が産み付け
られていることに気がつかなかったのです。目の前で野鳥の孵化を
観察できる、滅多にないチャンスだったのに。
私はそれ以前にも、蝶の羽化で、とても残念な経験していました。ま
た寄り道になりますが―。
![2007-02-09 06:05:12](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/94/0000086194/34/img6004e2f7zik5zj.jpeg)
ある日、郷里・北関東にいる小学生の甥から都会で暮らす私たちの
もとに、宅配便が届いた。包みをあけると、和菓子の空き箱のなかに、
虫食いだらけの小枝が一本、それにただ手紙が添えてあるだけ。
はてな、何のつもりかしらとけげんに思いながら、手紙を読むと、
およそ次のような文面だった。
ぼくの大切なアオスジアゲハの幼虫を救ってやってください。
このあいだ、鎌倉に行ったとき見つけて、持ってきてしまいました。
こっちでは、エサのタブノキやクスノキがみつかりません。もう、
いっしょに持ってきたタブノキの葉っぱもそれだけになりました。
どうかオバサンのところで、チョウチョにしてやってください。
すごくきれいなチョウチョになります。
鎌倉といえば、たしか頼朝の廟所に大きなタブノキがあったはず。
まさか、そこから失敬してきたのでは...?
そんなことを思いながら箱から小枝を取り出し、おそるおそる調べ
てみると、ほんとに青虫が一匹かくれている。のけぞりたいほど気
持ちが悪い。当時は、まだ私は虫は苦手だったのだ。
甥は幼いときからやたら蝶好きな子だった。よくサンショウやカラタ
チなどの木から幼虫を見つけてきては、だいじに育てていた。大人
たちが気持ち悪がるとよけい調子に乗って、その幼虫を自分の胸
にいくつも勲章のようにたけてみせたりするのだった。
彼は、アオスジアゲハの幼虫を餓死させてしまうのがしのびなくて、
私を本気で頼ってきたのである。叔母さんとしては、なんとしても頼
りがいのあるところをみせたい。気持ち悪がってばかりいられなかった。
幸いなことに、ちょっと先の辻公園に、大きなクスノキが一本あった。
毎日、暗くなってから、誰がとがめだてするわけでもないのに、なん
だか後ろめたいような気持ちで、こっそり小枝を折ってきたのをお
ぼえている。ときには夫が勤め帰りの道筋でみつけたのを、おみや
げだといいながら渡してくれることもあった。
大食漢のイソウロウにせっせと餌を与えているうちに、だんだん気
持ち悪さが消え、なんだか可愛くなってくる。葉を食べる音さえ耳に
心地よいのだった。
蝶の幼虫がサナギになるまでの過程を、あんなにつぶさに観察した
のは、あのときが初めてだった。まして、郷里では見たこともないア
オスジアゲハの...。
さて、今日がいよいよアオスジアゲハの羽化まちがいなしという日、
私はそのさぞ神秘的であろう一瞬をしかとこの目で見届けようと、早
朝からそわそわ落ち着かなかった。
ところが、である。サナギが割れ始めた肝心なときに、玄関のチャイ
ムが鳴ってしまったのだ。用事を済ませて戻ってみると、サナギはす
でにもぬけのから。
蝶はと探すと、カーテンに止まって、羽を静かに乾かしている。その
羽は、黒地にブルーの斑紋が列をなす、宝石のようなとしか例えよう
がないほど美しい。
本物のアオスジアゲハをみたのは、これがはじめてだったので、感
動もひとしおだった。
なにはともあれ、無事に羽化したことにほっとしながらも、その瞬間
を見逃した無念な思いは、しばらく尾を引いたのだった。
雛が、親のあしもとに甘えかかっているように見えます。
親は、やはりこちらを警戒しているようです。
ビニールひものくずも巣の材料に―。
いま観ているヒヨドリの雛たちの孵化は、きっと少しづつ時間のずれ
があったはずです。巣立ちのときも、だから四羽が全部同時というこ
とはないだろう。どんなに運が悪くても、気をつけていれば、一羽くらい、
巣立ちの瞬間を見ることができるかもしれない。いや、どうしても見た
いと思いました。