カテゴリ:ママ(37歳)
ママの母はB型肝炎ウイルスのキャリアだった
ママの祖母もそうだったと思う 母は肝硬変で10年前に亡くなった 祖母は肝ガンと胃ガンで亡くなった 母は6人の兄姉弟 そのうち残っているのは母の姉だけ 兄や弟はみんな肝ガンで亡くなった 母がB型肝炎に発病した時に 「アンタも検査してみ」と言われ 検査をしたのが高校1年生の時 結果はママもB型肝炎ウイルスのキャリアだった いわゆる母子感染 出産の時に感染したらしい 高校1年・2年・3年の夏休みはすべて インターフェロン治療のために入院していた インターフェロンというのはキツくって 打つと熱が40度になる だから打つ前に解熱剤を先にいれておかないといけない 毎日毎日インターフェロン 1日2本の時もあった 副作用で髪の毛は抜けるし 白血球が少なくなるので 感染予防のため個室にも入れられた もちろん、病室から出られなかった つらい1ヶ月… 小学校の時 将来の夢は「薬剤師」で そのために西宮にある薬学部のある大学の 附属中学校に入学 中学校1年から高校3年まで電車で通っていた 薬学部を目指すには 成績が足らないと中学校入学してまもなく分かった 母の病気もあり 将来の夢は「看護士」へと変わる 高校を卒業して看護学校へ入学 高校3年の時は看護学校へ行くために 予備校へも行ったし 夏休みの入院の時は家庭教師もつけた 看護学校へ入学するための競争率はすごかった 済生会看護学校なんて200倍… 市大病院附属や回生病院… 7つの看護学校を受験して2つ合格した 看護学生時代は 朝・晩・夜勤など2交代での病院勤務 昼から看護学校 勤労学生で学費も働いて払っていた 免許を取った後は看護士として働いた でも 病院でのいじめやセクハラ、 もうけ主義の院長にイヤになり 円形脱毛症とうつ病になり 1ヶ月で10キロ痩せ 看護士を辞めた 定期的に肝炎の検査をしていたけど 肝炎キャリアということで 病院で、特に採血などの検査の時に 看護士に露骨に嫌がられた 「私、採血すんの、イヤや」って聞こえた 前の夫と結婚し純平を出産 純平が5ヶ月の時に母が入院し 赤ん坊を抱え毎日母のいる病院に通った 母は肝臓の数値の悪化や食道静脈瘤の手術で 今まで十数回の入院 「今回の入院で、もう終わりかも知れへん」 お腹は妊婦のように腹水でパンパンになり すでに黄疸で黄色くなっていた母がそう言った その純平が7ヶ月の時、 入院から3ヶ月後、母が肝硬変で亡くなった 亡くなった後、葬儀やいろんな手続きに 子どもを抱え走り回った その頃 ママのお腹に2人目ができている事がわかった でもすぐ流産した それからしばらくして3度目の赤ちゃんができた 病院に行き検査をしたら お腹の赤ちゃんどころか 肝炎を発病している事がわかった 肝臓の数値が400ほどあった その場で入院になり 赤ちゃんは掻爬(中絶)しないと治療ができないと言われた 入院中に手術して赤ちゃんを亡くしてしまった 今までに3度も インターフェロン治療をしていて 抗体ができなかったので 今度の治療はプレドニンとセロシオンという薬を使った 肝臓の数値は1000を超え 体はかゆく、だるい状態が続いた もう死ぬかも知れないと本気で思った 家に残した1歳になったばかりの純平が心配だった ママの入院で保育所を途中入所し 保育所への朝の送りは前の夫 4時お迎えは妹 妹は夜に働いていたので お迎えに行ったらそのままタクシーに乗り ママの入院している病院へ純平を連れて来て ママの父が仕事の帰りに 病院へ純平を迎えに来るという毎日 これが3ヶ月続いた 退院後も1年くらいは 治療の結果を見るため通院していた このプレドニンとセロシオンの治療で B型肝炎の抗体ができた B型肝炎の抗体ができたことによって 自分のなかで安心が生まれた これでもう人にうつさない 純平もさくらも一応生まれてすぐに B型肝炎の予防のため 免疫グロブリンなど予防注射もした 将来のために 今、前と見違えるほど 丈夫なママがここにいる 「健康」って大事なんやなぁ 「健康」でいられることにすごく感謝している B型肝炎に関連する本の紹介 B型肝炎とインターフェロン HBVとB型肝炎の知識第4版 B型肝炎 図説B型肝炎とB型肝炎ウイルス改訂2版 B型肝炎の予防と治療 B型肝炎ウイルス感染予防の実際 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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