カテゴリ:ママ(37歳)
今日は「さくら学童」のお別れ会でした
「さくら学童」は1978年3月19日に 港区三先に開所した学童保育所です ママが小学校1年になる時 ママの学校の校区には学童がなく 隣の校区の「ありんこ学童」までたったひとり通っていました それから2年 三先に開所していた「さくら学童」が ママの校区に移転してきたので 「ありんこ学童」から「さくら学童」に通いました ママの3歳下の妹も通いました 「さくら学童」の指導員は当時26歳の男性、永岡先生です あだ名を「せんべえ」と呼んでいました 学校から帰ったら宿題をし けん玉もここで教えてもらい ママは「剣玉道四段」です 「もしかめ」も5000~6000回はできていました 自転車に乗れなかった子も 当時あった「港車庫」という空き地でみんなに教えてもらい練習し 乗れるようになっていました 夏休みには朝9時に学童に行き、午前中は宿題 昼ご飯のお弁当をみんなで食べ 時々はみんなでカレーなど作って食べました おやつも手作りおやつを作って食べたりしました 学童での親子キャンプも楽しかったです そんな「さくら学童」が少子化の影響や不況の影響、 「いきいき放課後事業」という大阪市の事業もあり 閉所に追い込まれてしまいました OBや現役の保護者など、みんなの頑張りもありましたが 28年経った2006年3月31日に閉所することになりました 今日、そのお別れ会があったのです 開所にかかわった人や1期生などOBやその保護者、 歴代の指導員、こないだまで学童に通っていた子や保護者などが集まりました ![]() ↑最後の父母会長のMさん さくらの通っていたバンビ共同保育所の先生です ![]() ↑「子どもの放課後が心配」と開所にこぎつけた保護者のKさん ママと同級生の母です バンビ共同保育所の元先生です ![]() ↑ママの学童時代の指導員の永岡先生(せんべぇ)です 指導員時代に子どもができ、その子が今は25歳だそうです 今でも都島の友渕学童の指導員をしています 子どもに真っ正面からぶつかってくれる先生でした ママの妹も一緒に参加しました 初代のOBはママとHくん(同級生)とママの妹の3人が来ていました 昔の「さくら学童」の思い出などそれぞれが話しました 当時、アパートの1室が学童でした トイレは共同トイレ 暗くてコワイし水が流れにくい 元気な子の大きなウンチは時々流れずバケツで流したり… 部屋が狭いのでけん玉をするのは学童の外の道路 みんなが道なりに横一列にならび けん玉「もしかめ」をします 一度始めたら2時間は玉を落とさないので 「もしかめ」をする前には必ずトイレに行かないといけません 学童に慣れなくて 学校が終わってから学童に行くのを嫌がる子や 来ても脱走する子もいて 先生はよく探しに行っていました そんな時は高学年の子が留守番して小さい子の面倒もみていました 大きい子が小さい子の面倒を見る 昔の地域の子どもたちそのままの構図がありました お別れ会では「まだけん玉できるかな」のコーナーがあり みんなの前に出てOBと現役の子らと一緒に技や「もしかめ」をしました 不思議なもんで 長いことけん玉をしていなくても体が覚えています ただ、「もしかめ」をする時の膝のクッションで太股がキツかったです 筋肉痛になるんじゃないかな? 昔はそんなことなかったのにねぇ 学童保育が法制化って話を聞きますが どういう中身なのかな? 今の「いきいき」よりも良いものだったらいいけど… 通っていた学童が無くなるって寂しいです… ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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