2011年3月11日に発生した東日本大震災から1年になろうとしてる!
1年後に発生の多い大余震に注意が懸念されます。
私は北茨城に住んでますが、あの時・・・・・・・
地震の発生した時は工場で働いていました。
下から突き上げる大きな揺れに驚き、直ぐに近くの出口から外に出ましたが・・・
工場から出る直前に停電になり。
(後日の調査でNC機械が1機倒れ天井配線が垂れ下がり粉塵で工場内の床は黒く汚れていた。)
外で大きな揺れに立ってられず地面に座ってました。
周りを見渡すと同じように皆座って頻繁におきる大きな揺れに耐えてた。
大きな揺れは凄く長く感じた。
全員事務所前に集められて、断続的な大きな揺れが続く中待機させられた。
妻や娘夫婦・孫の事が心配だったが携帯電話は殆ど通じず・・・・・
「このまま17時まで拘束され暗くなって解散されても何もできないなぁ」と思っていたら16時ごろ解散になった。
帰る途中に津波がきたらしく消防の方々が道路を封鎖したり、信号機は停電で機能せず道路は渋滞していた。
(津波は一部の国道と常磐線を越え300m近くまできたらしい)
社宅に着くとガス洩れていたが私の階まで階段で上がり、妻の安否を確認の為に部屋の中に入った。
部屋の中は薄暗く床面は足の踏み場も無いくらい物が落ち散乱していた。
特に台所は食器棚から食器が落ち割れて危険な状態だった。
妻の名前を呼びながら全部屋を見て回った。
居なかったので娘の家に行ったと判断して、キャンプ用のランタンと上着を手に取り娘の家に車で移動することにした。
車で移動中に道路の反対側を歩く妻と娘・孫を発見しUターンをして合流できたが・・・・
娘が乗らず気がついたら歩いて家に帰ってしまった。(勝手口のサッシが閉まらなく泥棒が心配だったらしい)
Uターンしてしまったので大回りして娘の家に向かうと家の前で娘と合流できた。
その間に道路では消防車が津波が来るので高台まで避難するように注意して呼びかけて走っていた。
娘の家に行きサッシの確認してると義息子も帰ってきたので車3台で高台まで移動した。
1時間くらい高台にいましたが、娘が地震で鍵の掛からないサッシが気になりだした。
津波も大丈夫だろうと一旦娘夫婦宅に帰ることにした。
薄暗くなったころ駐車場に到着したが、大きな余震が続くので車のなかで一夜を過ごす事に決めました。
停電なので周りは本当に真っ暗でした。
水道も断水してるし。
着の身着のままの避難なのでお腹も減りだした・・・・
娘が非常食があると教えてくれた。
物置小屋を見に行くと、数年前に購入したカンパンがあった。
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それと、購入したばかりのダイエット用に飲んでる水が24本あった。
ミネラルウオーター コントレックス 1.5リットルx12本
これがあって本当に助かりました。
だけど・・・・・・・・
カンパンは食べると口の中の水分が一気になくなりました。
水が無かったらヤバイです。
なので震災後に防災用としてこちらを購入しました。
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寒い車内で余震に怯えながら朝をむかえました。
つづく