テーマ:ニュース(99710)
カテゴリ:思ったこと
面会前、田口八重子さんのご長男の飯塚耕一郎さんは、
金賢姫さんが田口八重子さんの教え子なら、 彼女の話し方から田口さんの面影をかんじられるのではないかと期待しておられました。 面会後、田口さんのお兄さんである飯塚繁雄さんは、 金賢姫さんの日本語は、語尾に「ね」をつける話し方が妹に似ていると、 なつかしそうに語っていらっしゃいました。 テレビのコメンテーターは、金賢姫元死刑囚があのように流暢な日本語を話すのは、 田口さんの教え方がよかったのだろうと話していました。 それを聞いていて私は悲しくなってしまいました。 金賢姫さんの話す日本語こそが、田口八重子さんの生きた証だったからです。 拉致された不本意な生活であっても、たったひとつの人生に変わりはありません。 他人の人生を否定したり憐れんだりするのは不遜なことです。 だからそこにあった意義を見つけて評価したいと思うのが私たちの心情であり、 今回はそれが彼女の話す日本語でした。 さまざまな背景を思うと、どう考えたらいいのかわからないこともあります。 でもはっきり言えるのは、田口八重子さんも他の拉致被害者の方々も、 過去の人ではないということです。 生きているなら北朝鮮のどこかにおられるでしょう。 どうか一日も早く自由の身になりますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月12日 22時47分26秒
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