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よくテレビでインタビューがあるじゃないですか。
「あの聖火ランナーに対する暴動についてどう思いますか」ってやつ。 中国の方が「暴力に訴えるのはよくない。」といっているのを見ていて、ああたしかに、暴力で何か意見を闘争とするのはよくないな、と。納得するのですけど、「じゃあ、あのチベットのことについてはどう考えているのだろう。」と思ったんですよ。 わたしは、オリンピック辞退なんて嫌だし、ここまできたらオリンピックやるのはいいことだと思うんです。中国の方たちだって自分たちの国で主催してオリンピックやるってすごい楽しみだし誇れることだし、張り切っていいところだと思うんです。 たしかに、チベットのことはまあ、関係ないといえば関係ないしね。 でも、です。盛り上がるべきところで盛り上がるのは大事、だと思うんですけど、じゃあ、その件は別にして、中国の人たちはチベットの件については、どう考えているのでしょうか。私は、インタビューする人にはそれをしっかり聞いてもらいたいです。 なんかね、チベット暴動に対する反応に、中国と、世界とで、ずれをかんじてしまうんですよね。 ********* ***日本について とある人のエッセイを読んでたら、こんなにオリンピックで盛り上がるのは日本だけだと書いてありました。まあ、たったそれだけの記述で調べたわけでもないのにアレですけど、これが日本人のいいところでもありどうしようもないところでもありますよね・・・。 たしかに、みんなで盛り上がれるってすばらしい。日ごろちょっと嫌な相手でも、世界基準で見てしまえば俺ら日本じゃん仲間じゃん一緒に応援して、え、ちょっと感動しちゃったよ俺ら!みたいな連帯感、すごいわたしは好きだし。 でもなんか、変なスイッチ入ると盛り上がりすぎるよね。一体感がいいんだよなあ。日ごろ違うチームの選手たちが一緒にがんばってるのとか、見てるとうれしくなっちゃうし。 でも、これって戦争のときの一体感に似てない?あ、そういうもんなのか。だからここで健全な方向にストレスを発散させるんですね。なるほどね。 愛国心愛国心言うけど、結局みんな国を愛してしまうよ。見慣れた景色、慣れた風土、慣れた人々、なれた言語。 だって、高校一つとったって超地元ネタで盛り上がるときって絶対ある。似た環境、似た習慣、同じ店を使ってた、それだけですごく安心してしまう。 だから愛国心て、自分の国でそれなりに過ごせば自然に備わってると思うし、その自然な姿が一番安全で美しいかもしれないとか思っていたりする。 ただ、そのあいこくっていうことばを意識しすぎたり、逆に意識し過ぎなかったりしたとき、ふとしたところで、何かが食い違ってしまったとき、それがこわいなって思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.30 03:58:33
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