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テーマ:伝統こけしの魅力(99)
カテゴリ:土湯系
治助と治助-怪異と甘美 10月26日のブログで「うっかり落札?治助か、シナ戦前作か」と書いて、10月22日にヤフオクで「治助」として落札した19㎝は阿部シナの戦前作と判断した。 ところが11月10日のこけし談話会で、何人かの方にみて貰ったら、これはやっぱり治助だという。これは私の勉強不足、第一印象ですっかり治助でないと思い込んでしまっていた。 各種の図鑑などに出ている治助は、昭和初期のもので、眉は太く、目鼻が上部に偏って、いわゆる怪異な風貌である。 治助の年代推移にもっとも詳しい「木の花」11号を見ると、確かに治助の後期(昭和15年)の作であるようだ。鉛筆の書き込み「1940.12.10」の謎もこれで解けた。これはうれしかった。つまり治助の典型的な風貌が頭にあったのだが、治助も太治郎の影響で甘美になっていったのだという。 私は治助初期の太眉は好きでなかったが、治助にもこういう甘美なものがあるとわかると、それもいいかと思えた。後期と初期をアウフヘーベンした呪力のあるものが欲しいと思った。 現在治助を復元あるいはその型を作ったのは、息子金一と、その長男敏道、孫の国敏、金一の妻シナの後夫となった勝英。その子敏英である。 現在は阿部国敏や敏英の時代であるが、どれも初期治助を写している。それもいいのだが、誰かに、眉の細い治助を復元あるいはアウフヘーベンしてもらえないだろうか。これはまた新しい楽しみ(課題)となった。 画像は「木の花」11号口絵。時代変化が分りやすい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年11月11日 06時45分23秒
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