言葉の温度について
2年生の担任3人に教務担当をいれて長男の現状と今後について話し合う。一連の経緯を確認したがこれだというはっきりした原因はでてこない。しかし・・・たとえば、勇気を出して登校したとき「何で出てきた?」と誰かが言う。言われたほうは、氷のように冷たい刃物を突きつけられたように感じる。言った方にはそれほど悪意はないのかもしれないが・・・。こういった言葉に対する感じ方の温度差が心を痛めつけているんではないか?言う方も傷みに対する想像力が育っていないのだろう。このあたりの考え方は学校も理解している。学校が悪いとか家庭がなっていないとか言うことは簡単だ。今は「どうすれば」長男が学校に行けるのか?ということを解決するしかない。しばらくは後押しはしてやれるけど、いつまでも一緒に歩いていくことはできんようになるんだぞ。