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カテゴリ:写真散歩
幕末の幕臣 明治時代の政治家、思想家として知られる 剣・禅・書の達人 『山岡 鉄舟』に 現在でも多くの書や碑などで接することができます。 敗者の徳川幕臣だったので 歴史の表舞台にはあまり出てきませんが・・・ 日本の歴史の上で 意味ある人物では無いでしょうか。 ◎ 勝海舟の依頼を受けて 山岡鉄舟は官軍へ徳川慶喜の意向を伝える手紙を届けることに。 鉄舟は江戸へ進軍する官軍が駐留する駿府に辿り着き 西郷隆盛と面会し基本的な合意をとる。 この面会場所が 現在の静岡駅近くの松坂屋横に碑が残っています。 勝海舟と西郷隆盛の 江戸無血開城を決した会談の前に 実は下打ち合わせが ここで鉄舟との間で行われていたんですね。 ◎ 精神修養を重んじる鉄舟の剣道観は 近代剣道の理念に影響を与え 現在も鉄舟を私淑する剣道家は多い。 平成15年(2003年) 鉄舟は全日本剣道連盟の剣道殿堂に顕彰された。 「剣道」といえば 日本史上最後の仇討をした人物として知られる 臼井六郎という人物も明治始め 鉄舟の道場で修業を積んでいた。 吉村昭「敵討(かたきうち)」中の「最後の仇討」が 明治時代になってから起きた この事件をテーマにしている。 この本でも山岡鉄舟に一瞬会うことができます。 ◎ 鉄舟の書や揮毫は 人に頼まれれば断らずに書いたので 各地に実に多く残っている。その数 百万に近いとか・・・ 例えば 日本橋山本海苔店の商品のいくつか あんパンで有名な銀座木村屋の看板も鉄舟の揮毫 とか。 ◎ 禅の修行は長く 剣道と一体化しての厳しいものだったそうだ。 彼の弟子に 落語の神様「三遊亭圓朝」がいる。 明治16年 維新に殉じた人々の菩提を弔うため 東京都台東区谷中に 普門山全生庵を建立した。 千駄木駅から谷中へ上る三崎坂(さんさきざか)途中にある「全生庵」。 ここに 山岡鉄舟と三遊亭圓朝のお墓があります。 どなたでも墓参できます。 毎年8月はここで「圓朝祭り」が行われ (本格落語家さんの高座などイベントがいろいろと) 圓朝がコレクションした貴重な「幽霊画」が本堂で公開されます。 東京には 江戸明治の歴史が眠っていますね。 散歩ついでに 寄り道されては。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月14日 20時34分51秒
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