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さんせべりあ。の ぽよぽよ日記

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August 1, 2006
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一昨日から札幌で、SMAPのコンサート・ツアー、始まりましたね。
大好評のレポをネットの海を彷徨いながら読んでいると、
一気にテンション、アップしますね~♪
無事に元気な姿が見れますように。のんのん。

と、巷は一気に夏ライブ・モードですが、
私の「沈没」祭りは、静かに深く続いていまして~。
今日は、「映画の日」なので、またまた語っちゃいますよ~。

長文ですし、超・劇・バリ燃え・ネタバレなので、
まだ映画未見の方は、以下↓は、読まないようにお願いいたします。(ペコリ)






私はね、この作品好きですし、何度も観てますけれども(見過ぎですよね!(笑))、
涙で画面が見れなくなる程泣くって事は、なかったんですよ。

それが、5回目にして、初めて二人のシーンで泣いてしまいまして。
美咲ちゃんのお母さんの所へ駆けつけるところから、もうダメで。
いや、もっと前だな。
二人が”ひょっとこ”の二階の物干し台の所で、小さい頃の話をする所から、
もういつもと違う感情が湧いてきていました。

きっと今までは、何も見逃すまいとか、あれはどういう意味だとか、
映画からのメッセージを受け取ろうと必死で、
どっぷり浸る事が出来ていなかったのかもしれません。
それは、楽しめていなかったと言う事ではなく、それ程私にとって引っかかる部分が多いと言う事で、
あれやこれや考え想像して楽しんでいるのですね。
それと、これは私の癖なんですが、
中途半端に細かい演出や伏線に気が付いたりするものですから、
真っ白な状態で物語りに身をゆだねる事が出来にくくなっているのかもしれません。
この作品は、俳優さんの表情とか、動きとか、いろいろなものに注目すると、
本当にこだわって作られているのがわかる作品なんです。


でも、これまで、私にとってどうしてもわからない重要な疑問と言うのが、2つあったんですよね。
この疑問が解決されていなかったお陰で、物語にドップリ浸りきる事が出来なかったのかもしれません。
気になって仕方がない部分があったからこそ、こんなに早いペースで映画館に通った、
ということにも繋がりますけれども。
まさに、樋口監督の思う壺。(笑)


1つは、なぜ「『今は』できない」のか、という事。

わたし的には、最初から”アリ”なのに、どうして”アリ”なのかが、自分で説明できないと言うのが、
私の弱点と言いますか。理解力の不足ですね。ただ単純に。(お恥ずかしい・・・)
そこで、ささの葉さんにいただいた小野寺さんは「海の人」だというヒントをもとに、自分なりに気付いた事を。

よく洋画などで、「普通の人」が危機的状況に遭遇した時、いきなりヒーローになって皆を引っ張っていく展開がありますが、私はそれはそれで楽しむ方なのですが、
本当は、なんの訓練もしていない人がなんの躊躇もなく危険に飛び込んで行く事の方が無理があると思います。
しかし、この「日本沈没」のヒーローであるはずの潜水艦のパイロットの小野寺さんは、
最初、本当に普通の現代の若者の風情をリアルに際立たせた異色の(こういうパニック映画においては、という意味です。)人物像です。
そう。なんの訓練もしていない人がいきなり人を助ける事は出来ない。
むしろ助けようと駆け寄るのだけど、何も出来ないで、小さな女の子が火に飲まれるのをただ呆然と見ているだけの、
そして、逆に訓練を積んだ女の人に「助けられる人」として登場します。
もうこれだけで、私はいつものパニック映画とは一線を画した映画だと、座り直して見る様になるわけですね。

更に、小野寺さんが「海の人」だと考えると、ただ普通の現代の若者気質という事よりも、
よりわかりやすい部分が増える。
「海」は世界中繋がっているのだもの。
結城さんとの会話の中にも、「ノルウェーの○○さん、知ってるだろ?そこへ(妻と子を)預けてるんだ。」と、出てきます。
結城もまた、家庭を持って、子供をなしてこの日本に根ざした生活をしていなければ、
ここまで日本にこだわっていなかったであろう事が垣間見れる場面です。
だから、なおさら小野寺にとって、その結城が自分の誘いを断って、田所博士の手伝いをするために沈没しかかった日本に残るという決断は、理解しがたい衝撃を放ったわけです。
そして、その考えは、後々迷い彷徨うきっかけとなり得たと思うのですね。
後は、ワープだなんだと揶揄されようがなんだろうが、美咲、玲子、母、ひょっとこの仲間、見知らぬ名もなき多くの犠牲者・・・と、彼の意識を拡大していかなければ、大事なものが見えてこない。
新「日本沈没」を、原作や一作目と比べて、スケールが小さくなった(CGの事ではありません。)と、
つまり、日本人の諦念とか、アイデンティティとかいうものがテーマだったのに、それが描ききれてないと、嘆いている人がいますが、

本当にそうでしょうか?

私はむしろ掲げているテーマは大きくなったと思っています。
人間愛とか、人の使命とか。(誤解されるといけないので付け加えておくと、死ぬ事が使命だとは思わないし、この映画もそういう事が言いたいわけではないと思います。)
価値観がこれだけ多様化している現代の日本において、ただ沈み行く日本を受け入れる諦念だけを取り上げて、なんのリアリティーがあるというのでしょうか。
また、実際に大きな災害を経験している日本人に諦念を押し付けて、何を見出せというのでしょうか?
しかし、もちろん年配の方には、一番しっくりいく概念なのは事実だと思います。
そういう意味で、とても考えさせられるテーマ設定だと思いました。


話を戻して、「なぜ『今は』できない。」のか。

玲子に会う為にテントに行く前に、小野寺は、「わだつみ2000」の存在に気付きます。
神の啓示のように地震で倉庫が揺れるのです。
自分にしか出来ない、自分なら出来る、ある事に気付き、実行しようと決心するのです。
準備が整い、明日決行という日に、最後に一目玲子に会いに行く、というのが、
あのラブシーンの所です。
私は”アリ”としながらも、やはり”なぜ?”という気持ちもありました。
他の多くの方の感想のように、最後だからこそ思いを受け入れるのが普通じゃないだろうか?と。
小野寺さんのその時の気持ちは、どうだったんだろう?と、考えました。
玲子を大事に思っているから?・・・そういう気持ちは強かったかもしれない。
自分の決心が鈍るから?・・・そういう気持ちもあったかもしれない。
でも、それだけでは、”弱い”と思っていました。
もっと他に理由があるんじゃないかって。

で、「海の人」です。
「奇跡を起こす」と、小野寺さんは、田所博士を説得しています。
世界トップクラスの腕前をもってしても、結城さんが失敗した任務を「わだつみ2000」で成功させる事は、「奇跡」が起こらない限り難しい。
で、”海の(船の)神にこの身を捧げよう”と「誓い」を立てていたのではないか?と、考えたわけです。
そうすれば、あの涙の意味も理解できる。。。
科学的な理論だとか、世界トップクラスだとか、散々出てきてるのに、そんなまじないみたいな、
最後は「神頼み」か、と言う意見もあるかとは思いますが、「人の想い」って、何度も出てきてますしね。
出来る事全部やって、それでもなお足りないものがある時、自分を奮起させるためにも、
そういう「誓い」が必要だったのではないでしょうか。

これは、私の勝手な想像(妄想(笑))ですから、異論・反論あるでしょうが、
結構凹むタイプですので、建設的なご意見の他は、私の独断でサクサクッと削除させていただきますので、どうかご了承願います。

こうして完全に自分の中の疑問は、1つ解決されたのでした。
(こういうものは、自分が納得できればそれでイイものなので。)


もう1つの疑問に行く前に~。。。
あまりにも長くなりましたので、分けます。
興味のある方は、続きを読んでいただけると嬉しいです。


 ☆映画「日本沈没」まだまだ好評公開中~♪☆





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最終更新日  August 1, 2006 07:02:46 PM
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