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明治時代の少年誌、 明治38年(1905)年2月発行の時事新報社刊『少年』 と、 明治28年(1895)年2月発行の博文館刊『少年世界』。 『少年世界』の口絵。 時あたかも日清戦争たけなわ。 『少年世界』本文より。 銅版画の流麗で緻密な挿絵、トランプの手品などハイカラですね。 こちらは10年後の『少年』から。 『雪の朝』、 風雪に耐えて できるかぎり着込んだ子供たちの登校風景でしょうか。 石版画のやわらかい色調、 画はむしろあたたかい印象ですが 暖房のなかった当時、実際はたいへんだったことでしょう。 『少年』には有名な『三匹のくま』が紹介されています。 挿絵も内容もハイカラでどことなくバタくさく(笑)感じるのは 日英同盟の影響? ユーモラスなコマ絵(ひとこまマンガ?)。 ・・・説明はいりませんね。 その気持ち、わかるわかる。 こちらは同年、明治38(1905)年8月発行の金港堂刊『少年界』。
洋装の男の子がまたがる自転車の両車輪に世界地図が入っている、 和魂洋才、富国強兵、 西洋列強に伍して大国たらんと奮闘する明治の高揚感・・・ でしょうか。
『少年界』みひらき。
『少年界』より。 りりしい明治の尋常小学生。 全員が着物に袴ですね。 あらためて、当時の児童向け出版物、 編集部の意識の高さに驚かされます。 子供だましなどではさらさらなく、 執筆者も画家も心血そそいで名作を書いていらっしゃる、 尊敬に頭の下がる思い。 ・・・ただし気になるのは、このような各社競合した ハイレベルな雑誌を講読できる子が実際にどれだけいたかということ。 一部の恵まれた階層に属する子をのぞき、 子供たちの環境がひじょうに苛酷だった当時、 向学心があっても貧しくて進学できない 小説『路傍の石』の悲劇、 それ以前に貧しい農村では小学校にもいけない子も少なくなかった、 口減らしに里子や奉公にでたり、 郭に売られる女の子、 21世紀現在も途上国で問題視される過酷な児童就労が身近にあった時代。 現実が現実だけに、 むしろいっそう執筆陣の意識が高く、 けなげに一生懸命生きる 子供たちに夢や希望、たかい理想をもってほしい と意欲的になった側面もあるのでしょうか。 ・・・ほかならぬ『路傍の石』中に、 「・・・かれらのなかで『少年世界』をとっているのは道雄だけだった」 の一節があり、 家が裕福で雑誌が購読できる子は小学校のクラスでひとりかふたり (旧制中学や女学校に進学できる割合とほぼイコール?)、 あとはみんなでまわし読みしたのでしょうか。 1905年、日露戦争がようやくおわった年。 そして戦前の少年雑誌の金字塔 として一時代を築いた『少年倶楽部』が創刊されたのが 大正3(1914)年、 この9年後ですね。
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