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今年はちゃんとカリスから直接でいただきました。大きなご聖体をわって分け合っていただいたので奉納はありませんでした。毎年同じ箇所の聖書朗読なのに何も覚えていません。 洗足がテーマの説教でした。歌が上手な主任司祭さんの司式です。神学生が二人侍者。 神の子にもかかわらず弟子達、裏切ることがわかっているユダの足をも洗ったと思われがちです。 「ご自分が神のもとから来て、神の元へ帰ろうとしていることを悟り」なのですから逆です。 そうではなく神の子だからこそ、そこまで謙遜になれたのです。 神が神である所以の行為。なぜなら神は愛であるから。 奴隷の仕事である洗足を行うことは十字架の死へつながる前振り。そこには赦し清めがあります。 ペテロは、先生に足を洗ってもらうなんてとんでもないと断ります。これはよく見られる表面的な謙遜。そういう謙遜は「私と何のかかわりもないことになる」とイエスはそうおっしゃっています。 主の晩餐の夕べのミサ2005 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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