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9歳の時失明、18歳の時聴力を失った盲ろうの東京大学助教授。福島先生は関西人。ユーモアのセンスあふれる講演で会場は時折爆笑につつまれました。
18歳のどん底体験。急速に聞こえなくなっていく様子を暗い海に落ちて海底についた、この後は上がるしかない。 26年前の点字図書館には肩の凝らない読みやすい本はなく、あるのは川端康成、三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介。この4人に共通すること何だかわかりますか?みんな自殺しているんです。芥川の本を読んでいると追いつめられた精神状態が伝わってきて読んでいて死にたくなりますよ。その時、逆に自分は生きてやろうと思ったんです。 なぜか分からないけど自分は盲ろう者になってしまった、そのことに意味を求めていこうと思いました。人生が終わったわけではない。 障がいとは何か。私のイメージは、例えば野球をするときのグラウンドのコンディションみたいなものかなと思っています。つまり、人生を野球に例えた場合、そのグラウンドでプレーをするのが人生であると。そのときのグラウンドコンディションがいろいろあるわけですね。ある人にとっては非常にすばらしいコンディションが整っていて、東京ドームのようなきれいなグラウンドになっている。だけど、ある人にとっては凸凹のグラウンドになっている。障がいを持っているという人たちは、そのグラウンドコンディションが悪い状況だろうと思います。 もちろん、コンディションが良くなるよう援助は必要です。だけれども、重要なことは、どんなプレーをするかだろうと思うんですね。 小さいとき、原っぱで三角ベースの野球というのを私はやりました。草ぼうぼうの凸凹のところで、非常に悪いコンディションで野球をする。だけれども、そのときのはじけるような喜び、あれは人生の輝きですね。例えばそれと似たようなことが、障害やその他の様々な心身の諸条件、コンディションとその人が生きる人生の在り方との間にあるんではないか。 条件や環境が悪いということを私たちはよく言います。確かに条件や環境の整備は必要です。だけれども、与えられた条件や環境の中でいかに生きるか、いかにプレーをするか、それが私の障がいと人生についてのイメージです。 最後に自作のポエムを読んで終わりとします。 ぼくが光と音を失ったとき そこにはことばがなかった そして世界がなかった ぼくは闇と静寂の中でただ一人 ことばをなくして座っていた ぼくの指にきみの指が触れたとき そこにことばが生まれた ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき そこに新たな宇宙が生まれ ぼくは再び世界を発見した コミュニケーションはぼくの命 ぼくの命はいつもことばとともにある 指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに その後質問時間となりました。 「今の大学生を見て思うことと言う質問」 障がい者とコミュニケーションをするときのマニュアルはありませんか、というような質問をどこでもされる。 何でもマニュアルを求めようとする発想は残念。 マニュアルは自分で考え君たち自身が作るものと答えている。 「もし目と耳のどちらかの機能が回復するとしたら、どちらを希望するか?」 両方不要。何か治してやると言われたら、最近太ってしまって、内臓を良くして欲しいですね。 人生の半分以上盲ろうで過ごした今、山奥の不便な古い家で暮らしている人に都会にある立派で快適な家をあげるから出てこいというような感じ。山奥の方が幸せという意味ではない、比べられない。情報は多いがそれ自体がハッピーとはいえない。 美しい景色を見ることはできなくても、音楽を聴いて感動することはできなくても、人とコミュニケーションできる自分は幸せ。 この対談も素敵なお話がいっぱいです。 http://www.prop.or.jp/clip/2003_7/200401newmedia.htm お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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