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マリスト会のパウロ・グリン神父様が書かれた、永井隆博士の伝記です。
グリン神父様は、日本で20年ほど宣教活動をされ、現在は母国オーストラリアに帰られています。 この本は、NDVでK先生が紹介してくださいました。 素晴らしい信仰者として知られている永井隆博士。日本を愛し日本人としての心情を大切にしている無神論者の医学者が、母の死、パスカルのパンセなどにふれ、カトリックにひかれていく様など回心記としても感動的な本となっています、家族に未信者がいる人に特にお勧めとのことでした。 それまで永井隆博士の本は学生時代に、さっと読みましたが、立派すぎて苦手な遠い人というイメージしかありませんでした。 人間味あふれる永井隆氏が身近な存在に感じられる本でした。 科学こそ真実という無神論から母の死で魂は永遠という直感、パンセを読み、人生の意味、神は存在するのかという問いに悩む永井青年。無神論から不可知論に。中国の戦場で読んだ慰問袋の中の公教要理、そして帰国後の受洗。 「長崎の歌」を読んでから、図書室で永井隆博士、息子の誠一氏の著書を読みなおしました。 長崎の原爆の悲惨さは資料などで知ることがありましたが、爆弾投下の予告チラシを読み、自分たち家族だけ山に避難し、戦後も被災者に冷たい態度だった人達、人を押しのけ自分たちさえ助かればという人達、人を助けるために自らの命を捧げた人、家族を助けられず悔やむ人、子を亡くした親、親を亡くした子、聖歌を歌いながらなくなったシスター達、1人1人に重いドラマがあり、原爆の悲惨さというより戦争の悲惨さ、人間の業の深さ。原爆症に対する偏見。 浦上に原爆が落ちたのは、邪宗カトリックへの天罰とさえいう心ない言葉に対して、永井博士は浦上は、はん祭だと、当時の人々を勇気づけ励ます弔辞を読みました。 現在も賛否両論、批判もあります。 http://base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai.html http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/index.html 永井隆生誕100周年記念国際シンポジウムーいのちの鎖・愛の絆ー グリン神父様が来日。お話を伺うことができました。流暢な日本語を話されます。 「永井博士と日本人の心」 日本の心はどういうものか。言霊をたしなむ国、文学を愛する国です。日本の最古の文学は万葉集です。永井博士も歌人でした。 神である主君のためにいのちを捧げる武士の心をもっていました。永井博士の洗礼名はパウロ三木です。 日本人は直感力にすぐれています。知識と違い、知恵には心があります。原爆の夜、ラテン語の聖歌を歌いながら亡くなったシスター達や純心の生徒たち。そのことから永井博士は歌を詠み、原爆で亡くなった乙女達は、はん祭であると。悲惨な原爆の中にもみ摂理を感じました。 長崎の多くの人に影響を与え「叫びの広島、祈りの長崎」と言われました。 如己堂は、方丈記のようです。何もない小さな部屋に掛け軸、花一輪という日本の美があります。 昭和23年着るもの食べ物も十分でなかった時代でしたが、永井博士は文化賞の賞金で桜を植えました。今も永井千本桜として残っています。 現代の我々へのメッセージは、「平和を」多くの色紙に書いた言葉です。世界平和は、自分の中の平和、家族の平和からまず。 ーーー 永井博士の伝記の他にも、蟻の街のマリア,北原玲子の伝記を書いていらっしゃいます。日本の伝統的文化や心情、歌心、わびさびや武士道などの素晴らしさを著書の中でも述べられています。現在の日本社会、自分の暮らしを思うと、少々恥ずかしくなります。 シンポジウムのことは長くなるので別の機会に書きます。お父様が永井博士の主治医であり、ご自身も長崎大原研内科の朝長教授による医学的な見地からの原爆と永井博士の話など興味深かったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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