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今日は聖フランシスコザビエルが帰天された日、カトリック教会では祝日となってます。K教会にて、歌唱ミサと晩の祈りを歌う集いがありました。
次回は5月13日にファチマの聖母を記念するミサがあるそうです。 ミサ前にN神父さまから晩の祈りの歌唱指導があり、歌や動作など練習してからミサ、つづけて晩の祈りに。 「神よわたしを力づけ~♪」と歌いながら、十字架のしるしをします。イエスの愛につながるしるしですから大切にと。 後半でmagnificatを歌う時にも、「わたしは神をあがめ~♪」とうたいながら十字架のしるしをする動作を練習しました。 歌の上手な神父様なので、歌唱ミサも説教も音楽のように聞こえます。 説教として、30分ほどの講話がありました。 ーー 12月3日は日本のカルメル会にとっても特別の日です。 中国宣教に派遣される予定だったカルメル会司祭6人が、1951年12月3日に日本宣教に初来日しました。上野毛教会の初代主任司祭もその中の一人でした。日本のカルメル会のスタートといっても良い日です。 私にも聖フランシスコザビエルとつながりがあります。1949年フランシスコザビエルの「右腕」が日本全国を巡回し、母が札幌で私をおぶって見に行ったことを聞かされました。カトリックの家でもなかったので、その時は何も感じなかったのですが、あとになって自分にとって大きなことだったと思うようになりました。ローマにいた頃、告解を受けるために良く訪れたイエズス会の教会には日本で見た右腕が常時展示されていました。今年はインドのゴアで2度の会議があり、右腕ではなくご遺体の前で祈ることができました。 信仰をいただいた者にとって、日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルは誰もが無縁ではありません。 例えば188殉教者の一人加賀山隼人は高山右近から信仰に導かれ、右近はロレンゾから、ロレンゾはザビエルからとつながっています。 信仰は、信仰を伝えた人との具体的な多くの人との出会いがあったはずです。 私にとっては20才の頃であったドイツ人宣教師でした。 自分の育った言葉、文化を捨て、突き動かされるように日本へ宣教に。 人と会っていないときは、一人聖堂で祈っている人でした。人の目にはみえない大切な誰かと会っているよう。 あの人が生涯をかけてついていこうとしている方と洗礼を受ければ出会えるかもと洗礼を決心しました。 188殉教者との7週間の祈りを通し学んだことは、いのちをかけてイエスについていく人には共通するものがあるということです。 深いおだやかさ、平和、そして柔和。 憤るとか追い落とすのではなく、どうでも良いことは譲るが、イエスを捨てることだけはできないという姿です。 フランシスコ・ザビエルの十字架のイエスへの祈りを読みます。 十字架上のキリストへの祈り (聖フランシスコ・ザビエルの祈り) 主よ、あなたを愛するのは、 あなたが天国を約束されたからではありません。 あなたに背かないのは、 地獄が恐ろしいからではありません。 主よ、私を引きつけるのは、あなた自身です。 私の心を揺り動かすのは、 十字架につけられ、侮辱をお受けになった、 あなたのお姿です。 あなたの傷ついた、お体です。 あなたの受けられた、辱めと死です。 そうです、主よ、 あなたの愛が私を揺り動かすのです。 ですから、たとえ天国がなくても、 主よ、わたしはあなたを愛します。 たとえ地獄がなくても、 わたしはあなたを畏れます。 あなたが何も下さらなくても、わたしはあなたを愛します。 望みがかなわなくても 私の愛は変わる事はありません。 この詩は、天国や地獄ではなく、イエスが自分をどれほど愛しているか、世の終わりまでいつもあなたと共にいるとおっしゃるイエスの愛。その愛を思う詩です。 最後に4つの勧めがあります。 フランシスコザビエルのように、みことばに耳を傾けることを大事にする。 聖書を読む、聖書の解説書を読む、何でもかまいません。 自分の願い、欲求に野放図に従わず、ちょっと我慢して、主は私に何を願っているかを思いめぐらしてみてください。 毎日数分、3分でも5分でも主は自分に何を願っているかを思う時間を持つ 自分の中からでて、主がどう一緒に生きてくださるか、聖霊に自分の場を渡すことです。 フランシスコ・ザビエルは主にみたされながら生き、人々に多くの恵みをもたらしました。 私たちも主に心をあけわたす、多くの恵みがそそがれ、人々にも多くの恵みとなります。 ーーー 声が美しすぎて、すーっと聞いてしまって、ずいぶん抜けてしまってます。雰囲気だけお伝えできればと思ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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