1995.4.24 精神安定術 10.26改訂
中学校で教わる保健体育の中に、"心身の発達"という分野がある。そこで、習ったことで、私が今でも覚えていることがある。人は欲求が満たされないとき、それを別な形で補って、精神のバランスを保つという。例えば勉強が苦手な子どもがスポーツで頑張る。(補償)とか、旅行がしたくてもできないとき、ガイドブックの写真で満足する。(代償)など、心理学的に幾つかのパターンで分類されている。
人間は本能的に、精神のバランスの保ち方を身に付けている。私の身の回りを見渡してみると、皆、実に色々な方法で心の安定を図っているのが分かる。例えば、他人の中に自分より劣っている部分を見付けて安心する人。もっとひどい場合にはそれを攻撃する方もいる。あるいは、動物園の猿山のボス猿のように虚勢を張り、威張って自分を強く見せて立場を守ろうとする人。これは、学校の先生に多く見られるタイプである。特に小学校では、"学級王国"という言葉が示すように、先生は、教室の中では、絶対権力者である。子どもがちょっとでも反抗しようものなら、自分の責任において叱責し、罰を与えることができる。それは、立場の弱い子どもたちにとって、大いなる迷惑である。
人は誰しも自分には自信がない。人から無視されることが何より怖い。だから、心の許容範囲の狭い人は、何とか人より目立つことによって認められよとうとする。すると、どうしても威張ってしまう。
世の中には様々な人がいる。そんなに背伸びをしなくても、人は自分の周りに集まって来るものである。ただ、他人を思いやれる心さえあれば...。
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前回の日記の出来事とも重なる内容だと思う。東京は今後数年間、新任教師大量採用期である。同時にに管理職も大量登用期に突入している。新任も管理職も、教師の立ち位置やコミュニケーションの基本がきちんと分かった人になってほしいものである・・・。