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カテゴリ:読書
少し前からいしいしんじ氏の『プラネタリウムのふたご』を再読していました。
初読の時よりも、細かい部分まで中身を追う事が出来たためでしょうか、読後の余韻は今回の方が強いような感じです。 そしてその余韻の強さ故に、読んだ感想をどう残して良いのだろうかと未だに悩み中ではあるのですが、とりあえず書いておこうと思います。 だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの世界になってしまう・・・。 「騙される」 この言葉に良い印象を抱く事はなかなか難しいと思います。 それは信じる何かがそこにあったから。 それを騙された事で失った悲しみはなかなか癒せる物では無いでしょう。 誰しもが嫌がり恐れるはずの、騙される事も必要とは何故なのだろう? そんな気持ちをこの作品に対して抱いていましたが、読んでいるうちに不思議な経験をしたのです。 涙が流れ始めるのです。 悲しい場面では無く、星の語り部となった双子のひとりが夜空の物語を優しく語る場面で。 また、奇術師となったもうひとりの双子が鮮やかななマジックを魅せる場面で。 「どうして?」 と自分に問いたい程不思議な事でした。 けれど、今なら少し解るようにも思います。 プラネタリウムもマジックも、本当はそこにありはしない物を、あたかもその場に存在するかのような幻想を抱かせてくれています。 ドームの天井に輝く星々や奇術師の手から放たれる魔法、それを見たい人は騙されると知ってやって来る。 そう、一瞬でも良いから幻想に騙されたい、目の前にある存在を信じたい。 そんな気持ちがきっとあって、自分もまた幻想を信じたいという気持ちがあるのだろうと思えます。 だからこそ、流れた共感の涙だったのかもしれません。 この本を読み終えて、信じる事と騙される事が表裏であると改めて知ったとしても、次の瞬間から自分は騙されても平気、赦す事が出来るとなる程に強くはなれないでしょう。 これからも騙されれば怒り、悲しむでしょう。 それでも色んな事を信じたいから騙さない、信じたいから裏切りはしない。 この気持ちだけは絶対に忘れたくは無いと感じさせられました。 ・・・と今はこんな風に感じているのですけれど、やっぱり自分の中ではまだ何か表現しきれていないようにも思います。 きっとそんな作品だからこそ、何度でも読んでみたくなるのでしょうねぇ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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