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カテゴリ:『恋情に届くまで』
突然床に倒された眞姫は、自分を真上から見下ろす利神の強い視線に戸惑うしかなかった。
「迂闊なんだよ、お前は」 食い込むほど強く握られた腕が痛む。 「俺がこうしてる意味すら気付かないんだろう」 確かに眞姫はこの体勢の意味が分からない。想像することは可能でも、自分と利神の関係を考えると、ありえないことだと言うしかない体勢だ。 「お前があんまりにも迂闊で甘ちゃんだから、こうして俺がキレる羽目になる」 「キレるって……」 「マジメにジジイの話なんか聞くんじゃねえ。まして女なんかと二人になるんじゃねえ。お前はお人好しだから、たったそれだけのことでも既成事実とか言われて結婚決められちまうぞ」 「……心配してくれたんだ?」 眞姫を見下ろす視線は、どうみても真剣だった。 「悪かったよ。けど、彼女と二人きりだったのは、ほんの五分もなかったよ。久保老が二人で話でもって出て行ってすぐだったし」 「……馬鹿が」 もう一度吐き捨てた利神が、苦しそうに目を細めた。 (怒ってるはずなのに、悲しんでるような気がする……) そう眞姫が思った瞬間、不意打ちのように重ねられた唇。 「!?」 床に押さえつけられたまま強引に唇を貪られて、眞姫はこの体勢の本当の意味にようやく気が付いた。 間違いなく、眞姫は利神にキスされていた。 「んぅ…っ」 突然のキスから逃げたくて必死で身を捩るけど、体を固定した利神の右手が、顎を固定した利神の左手が、眞姫に自由を許してくれない。 何度も角度を変えて重ねられる唇。喉の奥まで探ろうとするような深いキスは、いわゆるディープスロートというやつだ。 「ン……ふ……っ」 必死で身を捩りながら、眞姫は頭の中で嘘だろうと何度も繰り返す。 こんなに深いキスをまさか利神とすることになるなんて、眞姫はこの瞬間まで考えたこともなかった。 兄弟みたいに育った従兄弟なのに。同僚でもあり。友達でもあった男とこんなキスをするなんて……。 「今まで、俺がどんな気持ちでお前を見てたか気付きもしないで……」 利神が眞姫の唇を甘噛みしながら囁いた。 「お前に恋人がいるのはいい……、けど、結婚はダメだ……。お前をこの家から奪っていく女は許さない。当然の顔をしてこの家に入ってくる女も許さない」 利神の手がシャツの裾から滑り込み、薄い胸板を撫でていく。 「何、考えてるんだ……!?」 「何って。この状況が分からない程、経験がないわけじゃないだろう」 利神の唇が吸血鬼みたいに首筋に触れる。強く吸い上げられて肌が痛む。 「利神!」 「今まで我慢してきたのに、俺の目の前で女に襲われてるお前が悪い」 煽ったのはお前だと言い切った利神が、もう許してやらないというみたいに、体をぴったりと重ねて眞姫の動きを更に封じた。 「ちょっと待てよ…! お前には妻も子もあるだろ!」 思い出せよと眞姫は利神の肩を叩くけど、利神は動じることなくフッと笑むと、シャツの上から眞姫の胸元にキスを落とした。 「俺は身勝手な男だからな。本当は後継ぎなんてなくてもよかったさ」 「利神…!?」 「それでも子供が必要だと思ったのは、俺が何とかしなきゃ、あのジジイは無理にお前に結婚させると思ったからさ」 苦悩するような、それでいて酔ったような甘い表情は、それが眞姫の為だったという陶酔めいた気持ちから来るのかもしれない。 「元々俺達の父親は双子で、どっちが宗主になっても不思議じゃなかった。だからこそ俺達にも、本来同じだけ権利がある」 そうだろうと訊ねられて、眞姫は小さく頷いた。 まだ日本舞踊のなんたるかも分かっていない子供の頃から、何度も父親達から聞かされた。 どちらが上で、どちらかが下なんていうことはない。二人並んで支え合っていってほしい――――。 「俺が嫁を取らないと最後までごねりゃ、後継者はお前に託すしかない。そうなったらお前は義務に縛られて結婚するだろう」 そんなの許せるかと吐き捨てた利神は、有無を言わさず眞姫のシャツを引き裂いた。 「やめろ…!」 「お前が女なら、この気持ちが恋だと気付いた瞬間、迷わずやってたさ。男女なら従兄弟でも堂々と結婚できるからな」 でも俺達は男同士だからと呟いた利神は、一生黙っておくつもりだったと付け足した。 「けど、あのジジイ。性懲りもなくお前に見合いなんかセッティングしやがるから」 理性が死滅したと嘯いた利神は、眞姫の着衣を全て剥ぎ取ってしまうと、手早く自分の着物も脱ぎ捨ててしまった。 「ダメだって……!」 「俺のものになれ……。俺の誠意も愛情も、全てがもうずっと昔からお前のものだから」 「利神……!」 眞姫は叫びながら、利神を止められないと知っていた。だってずっと一緒に育ってきたせいで、利神が一回口にしたことは、例え血を吐いても変更しないと知っていたから……。 後ろから利神に抱えられるように抱き締められたままベッドに横たわった眞姫は、掠れた声で「何で……」と呟いた。 「何で今まで我慢できてたのに、急に理性が飛ぶんだよ……」 どうせなら死ぬまで我慢しろよと文句を言った眞姫に、利神は少し躊躇ってから不安だったから、と答えた。 「お前に結婚願望はないって知ってたけど、人の意見は変わるだろ」 胸元に回された利神の手が、何度も優しい手つきで撫でていく。 「お前、明神の子守しながら、子供が欲しいって言ってただろ。だから、渡りに船で真面目に結婚を考えるんじゃないかと思った」 眞姫はそう言われて、数日前、そんなことを呟いたことを思い出した。 「………聞いてたのか」 「ああ。お前が思ったよりも明神を可愛がるから、ひょっとして本気で欲しいのかと思った」 眞姫を抱き寄せる腕に力が篭められる。 「別に、本気って程でもない……。ただ明神が可愛くて。それに利神とは同い年だから、自分にも子供がいても不思議はないなって思ったんだ」 「結婚してて、ガキもいるけど……。あいつはあいつで可愛いと思ってるけど、お前に対する気持ちは、自分でも困惑するくらい強いんだ」 本当に困っているのか、囁かれる声は僅かに掠れていた。 後ろから眞姫を抱きしめていた利神が、そっと眞姫の肩に唇を押し付ける。 「お前に説教食らったみたいに、今までよりも明神を大事にするから、……頼むから、俺を嫌うなよ」 眞姫はらしくない言葉を聞いた気がして、小さく身じろぐとこっそり利神の表情を窺った。 いつもは傲慢で、下手に出ることなど皆無の男は、初めて見る不安そうな顔をしていた。 「利神のくせに……」 いつも傲慢で、自分の信念を変えない強気な男のはずなのに、この時の利神は、あまりに不安そうに見えた。 「今まで、女も……男も、腐るほどに相手にしてきたくせに」 眞姫よりも数倍、数十倍も恋愛経験が豊富なはずの男の、「頼むから」なんてセリフを、まさか自分が聞くことになるなんて、眞姫は意外すぎて笑ってしまう。 日頃から何かと馬鹿にされているから、こんなセリフを聞くのも悪くないか、と眞姫はこっそり舌を出す。 利神と同じ気持ちを返せるかなんて分からないし、仮にそうなっても利神の望む恋人になるとは限らないけど……。 「まあ、従兄弟とか仲間としては嫌いじゃないから、とりあえず嫌いにはならないでおいていてあげようかな……」 この年になって驚くべき体験をさせられてしまったお返しに、少しくらいは意地悪なセリフも許されるべきだろう。 The End. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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