今日は日比谷公会堂での拉致被害者救出の国民大集会の日である。今年は金賢姫元工作員からの手紙が披露されたと伝えられる。訳文は全国協議会のHPで読むことができる。田口さんの息子さんや飯塚さんと釜山で面会した後の会見内容でも毅然としたスタンスへの驚嘆となんとなくの違和感があったけど、今回の手紙のトーンも立場の違いだろうか、私たちが拉致被害者への取り組みとはやはり異なるものを感じる。金元工作員は、それぞれの国の事情により関係がいいときも悪いときも日本、韓国、北朝鮮の外交関係にはある。よいときがまた訪れ、それまで頑張っていれば、面会もかなう日が来るというものである。個人への思いがあってもこれをあらゆる手段を駆使しても突破しよう、何とかするというのでは全くないの感じがする。金元工作員は凍土の北朝鮮がふるさとであり、生きている肉親への思いがつのるのは当然だろう。まったく北朝鮮にふるさと意識もない日本人の立場から見ると、まず望郷の念を割り引いてみても、なんか北朝鮮に生きている自分が思いある人とほぼ等しく、拉致被害者の立場を捉えている、そんな気がするコメントなのである。工作活動に生きた人にはごく当たり前にヒトを抹殺することはおきていたことだろうし、国と国との関係をもってマクロ的な極めて冷徹に国際関係として捉えて、見事に自分の意志とするそういうトレーニングを受けたヒトの発言だなと感じてしまう。私たちがフツーに捉えて敏感に反応するはずの個々人の人権意識の前提がまったくないのだろう。想像し得ない世界で生きたヒトであることの証が壁のように金元工作員の中にはあるのだろう。