七月の第1週土曜日には保護司の方々が中心となって街頭活動を行う姿に例年お会いする。今年もこの季節がやってきたわけである。街頭配布姿を見ながら、夏を迎えるのだなと思うようになった。「社会を明るくするする運動」これは犯罪者の更生、社会での受け入れを進める活動であり、保護司という実質ボランティアに過負担なまで頼っている制度の改善をも、やはり訴えているのである。
この活動の起源で語られるのは監獄を出て改心した人が、受け入れてくる家族、親戚も地域もなく、でも二度と犯罪を犯さないと決心していたことから、とうとう身を投げて亡くなったという話を、獄監から聞いた金原明善氏が、出獄者を受け入れるの更正施設をつくったというもの。
でも金原氏もこの話しを聞かなければ心を動かすことは無かったかもしれないのである。人を動かすのは、まず動機となる事柄、そして語り、行動する人に直面したことからである。逆にこのような事柄とは全く無関係に生きていれば、知らないで済んでしまうのは当然となる。
だからこそ、自分の捉えている範囲の世界の狭さをいつも自覚しておかなくては思う。今、新彊ウィグル地区、あるいは東トルキスタンというべきか、現在では中国だけれど、オアシス地帯のトルコ系ウィグル民族の地は資源の宝庫である、手放すはずがない。例によって漢族の大量移住、ウィグル族の強制中絶という民族浄化が行われ、まさにチベットと同様な民族政策が中国によってとられている国。さらにはロプノール湖あたりは中国核爆弾実験の地であり、何十万人なのか、どれほどの人が亡くなったかもはや定かですらない。
いったいどこらへんかと、はるか遠くでまったくわからないとしても、ピンと来るには楼蘭の姫のミイラが発見されたところ、あるいはNHKの喜多郎さんの音楽で有名なシルクロードの撮影地帯ということがわかりやすい。僕はあのテレビ番組を見ながら井上靖氏や司馬遼太郎氏の著作を思い出しても、まったくこのウィグル族の苦難を思い出すことはなかったのである。知らずに過ごしたことの平安。あるいは、もう少し解っていたらとの慚愧、自分を振り返らざるを得ないのである。
人権の活動に携わる人々の語ることを、そして姿を、まずは少しでも振り返ることでしか始まらないのである。