五稜郭祭り始まる
今日は恒例の中島三郎助碑前祭りの日である。恒例となったものだけど、まさに中島三郎助父子の祥月命日なである。浦賀からも関係者が来館しての慰霊祭であり、かなりに規模である。住んでいる町名の由来がここまでクローズアップされるようになったのは比較的新しいけれど、この函館を最終の地とした戊辰戦争の終局の地なのだ。実は我が家は幕軍である。戦前までは朝敵の意味があったらしいけれど、会津、名古屋と親戚が連なるのである。五稜郭で戦ったまでの話は伝わっていたが、詳細は分からない。そういえばひいじいさんがそう言ってたなという、記憶の辿りで伝えられる程度になってしまっている。ただ廻りや親戚に居住地をみていると確かにその流れにいることがなんとなくわかるものなのだが。特に北檜山にいくとこれが明瞭になる。若松という地名があり、米は白虎米であり、むかし瀬棚に会町があったのである。この北部檜山から後志の余市あたりまで旧幕軍の流れが続くのである。でも明日の天気はどうだろうか。今年も加藤さんがペリーである。はまり役だが、雨模様の予想でもやるのだ。