2004~2013

2009/06/17(水)03:39

浅香光代と団十郎

芸能人・有名人(85)

1日中、自宅。 午前中、睡眠。 テレビ。 「徹子の部屋」浅香光代。 徹子「今日、お扇子持っててね、団十郎、団十郎って、なにが団十郎かと思ったら、このお扇子、あの、むかし、海老様と言われたあの団十郎、今の団十郎さんのお父様。あのかたにおもらいになった。」 浅香「そうですね。そこまで聞こうっての? あたしの岡惚れしたおとこですから。」 徹子「あぁ、そうなんですか。いつもほら、好いたらしいおとこってのを探してらっしゃるじゃないですか。あのかた、好いたらしいですか。」 浅香「本当に好いたらしいね。今、ああいうおとこ、いない! いやぁ、ほんとに。だからね、今の海老様ね、孫になりますけど、あたしの顔見るとね、下からずーっと見るの。こんなおんなが、うちのおじいちゃん気に入ったのかなってな…」 徹子「あちらが気に入ってらしたの?」 浅香「そう!」 徹子「えぇーっ、ほんと?」 浅香「えぇーってことないじゃない。ひとを疑ってるじゃない。」 徹子「あなた様があちらをお気に入りかと思ったんですけど、あちらがお気に入り?」 浅香「えぇ、それからまぁ、いろいろね、ありまして…、そいで、おかげさまで、演舞場で『勧進帳』やらしてもらったり、衣裳こしらえてくれたり。ほんとにね、いろいろ。みんながね、ま、花柳章太郎先生もいろいろ言ったらね、みんながね、あのおんなのどこがいいんだって言うんだって、奥さん連が怒るわけね。なんでもあたしの顔見ると『作ってやるから』。どこがいいんだっつったらね、あのおんなの、なんともいえないね、笑みがいいんだって。ふっと見てね、にこっと笑うような笑わないようなね、あれがいいんだってさぁ。だから、これがあの、惚れたらあばたもえくぼってやつなんですねぇ。だからね、もう、ほんとにねぇ、海老様のおかげで、ずいぶん歌舞伎を勉強させていただきました。しかもねぇ、『勧進帳』ですよ。」 徹子「そう。なにおやりになったんですか。」 浅香「弁慶です。」 徹子「えぇーっ、大変だったでしょう。」 浅香「そいでもうね、わたしがまぁあの、夜ね、毎日、電話よこすんですよ。」 徹子「ちょっと待って、海老様が毎日電話よこす?」 浅香「あ、わたしに。」 徹子「だから、“よこす”ってすごいですね。『電話掛けてくれるのよ』じゃないの、『電話よこすのよ』。まぁ、いいわ。それで?」 浅香「それでね、待ってるでしょ。そうすっとね、来ないから、なんだっつってっとね、電話、おもてで掛けるわけ。色っぽいじゃないの、今と違うから。公衆電話でね、『30円しかないよ』っつうとね、『観に行こうと思ったけど、行けなくてごめんね。』ってこうだよ。ごめんねだよ。」 徹子「うっふっふ、あなたのを観に行けなくてごめんね。あの海老様が。」 浅香「そうそう。いや、年中来るの。だけど、ダメ出しをね、ほんと、あたしにね、あそこのセリフはね、『ダイオンキョウジュノアキノツキハ…』 ああいうふうに言っちゃいけない、もうちょっとわかるように言いなさいってねぇ、電話で。『ダイオンキョウジュノアキノツキハ』と、こういう…、あたしゃうれしいじゃありませんか。日本一のあんた、ねぇ。幸せですよ。それでねぇ、別に会ったところでねぇ、小指だけぽっと触るぐらいよ。どきどきっとしちゃうの。」 村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」、読了。中公文庫。 村上春樹ってひとはてっきりコラムニストだと思ってたのだけれど、小説も書くんですね。1980年から1982年にかけての短編集。発表誌に、文芸誌だけでなく、「BRUTUS」や「宝島」も混じっているのが当時の村上春樹だ。 ラジオ。 「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。 ギャラクシー賞受賞記念“宇多丸甘やかし週間”として、布団で寝っころがりながらしゃべる放送。その証拠に、その様子をインターネット・ストリーミング放送で動画配信しているというので、せっかくだからつなげてみると、ほんとだ、宇多丸が布団でごろごろしながらしゃべっている。珍しい光景なんだろうけれども、というか、通常の放送の様子だって見たことがない。「シネマハスラー」では、なんか、手帳みたいなのを見ながら一気に語っていたが、そういう部分のほうがじつは興味深い。 進行役は、ゲストの小島慶子。ほとんど、「キラ☆キラ」を聴いてるかのような感覚に。 水道橋博士から、「シネマハスラー」の大ファンとして、10分にもおよぶ熱烈なコメント。以前より、ブログからもその熱烈なファンぶりは伝わってきていたのだが、これはすごい! 「つまらない映画をつまらないって語ることは本当につまらないんです。でも、つまらない映画が、何故、つまらないか、いかにつまらないかを、面白く語ることは、ものすごく発見と技量がいるんですよね。そしてその、放送を聴いて、その地獄のようにつまらない映画を、映画館にまで観に行かざるをえなくなる、不条理な行為そのものが、人生そのものであり、映画的体験であるっていうことを、本当にこのラジオが教えてると。」 「私は貝になりたい」の回などはあまりにもお見事で、中居正広に聴かせたいと思ってCDに焼いて持ち歩いてるほどだと。宇多丸がいかに面白いかを面白く語る、博士の発見と技量だって、もう、感動的なくらいお見事。 松野大介のブログ。 「高田“笑”学校」を観に行ったようで、それだけでも面白いのだが、松野大介がマキタスポーツを観たことに興味。松野が書いているとおり、マキタがやるミュージシャンの“思想模写”とほぼ同じことを、今から15年ほど前に松野大介はやっていた。マキタはおそらく、清水ミチコをヒントにしているのだろうが、ひょっとしたら、清水ミチコよりも松野のほうがこのスタイルは先かもしれない。松野がそれを続けなかったのはつくづく惜しいが、これほどの秀逸なネタがあっても、それを活かせないのが当時の“お笑い”をとりまく状況だった。 YouTube。 「ボクらの時代」春風亭小朝×南原清隆×千原ジュニア。 この番組、日曜の早朝という時間帯で観逃しやすく、あとから新聞で出演者を知ることも多いのだが、このメンバーでやっていたとは知らなかったな。話の内容からして、去年の「大銀座落語祭」の直前の収録のようだ。このトークからでは、ジュニアが談春師から絶賛されるような「死神」をやるとは想像がつかない。 ジュニアは、ある番組で談春師とも対談したらしいが、誰か、YouTubeにアップしてくれないですかね。

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