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カテゴリ:歴史
August 21, 2010 伊達家の歴史新事実解明へ 再録 伊達政宗の弟秀雄が第15世住職をしていた東京都あきる野市横沢の大悲願寺を参拝した。みやぎ夢フォーラムの行事準備の為、4月8日甘茶供養の日以来4度目だが、参拝の度に新たな気持ちになる。 第26世住職加藤章雄師のお話を拝聴し、伊達家と縁のある古文書を拝観した。40分を越える貴重なお話をお聞きし、高校三年時の佐々木光雄先生の日本史の授業の謎が44年ぶりに解消出来そうだ。 伊達眞美著『伊達家の風景』(三月書房刊)と伊達泰宗・白石宗靖共著『伊達家の秘話 独眼竜一族の知られざる素顔』(株式会社PHP研究所刊)を読み、伊達政宗が弟小次郎を殺害したことへの疑問が高まっていた。『仙台藩史料大成 伊達治家記録二』(宝文堂刊)の貞山公治家記録天正十八年四月の記録(P.P.155~159)を読むと、何れの説も確証が無く、年齢的に矛盾が生じる。 徳川家康が伊達政宗の相談を受け、徳川家の菩提寺の増上寺住職に相談し、その高僧の姻戚の大悲願寺第14世住職源誉が政宗の弟小次郎(秀雄)を預かり、僧侶としての育成をし、秀雄は後に宝仙寺の住職になったとのご説明を聞いた。当時の記録の集成は、全てを包含せず謎を残しているが、伊達家に残された史料と大悲願寺に語り伝えられている歴史秘話を重ね合わすと一つの事実が見えてくる。 戦国時代から安土桃山時代に入り、戦乱が終局しようとしている時代で、豊臣、徳川、伊達の微妙な関係から、真実とは異なることを書き残した史料が残っていたのではないかと思量出来る。1591(天正19)年、徳川家康が、葛西大崎一揆視察後の帰途に休息した場所に、仙台藩2代藩主伊達忠宗が伊達家の守護神として祀ったことは、家康への感謝を表してのことだとも言えるのではないか。 仙台では、徳川家康公を祀ることで、幕府側と近接藩からの武力攻撃を未然に防ぐのを目的としたと言われてきた。この辺の時代背景を細かく分析し、仙台藩家臣の動きを古文書と言い伝えから分析すれば、真実が見えてくるのかもしれない。 専門の学芸員が、政宗と母の手紙の分析もしているとのことなので、歴史調査の結果を待ちたい。政宗公は、主君に子が授からないのに、お守り役を務めてきた家臣に子が出来てはと憚り、実子を殺め様とした片倉小十郎を諌めている。 その様な暖かい主従関係を考えれば、才能のある小次郎を殺めることは考えないのではないか。殺していないとすれば、小次郎とそのお守り役のお墓の謎が出てくる。 藩内を納得させる為に、戦の準備で忙しい時期に埋葬し、確認した者は少ない。藩論を統一する為の芝居に協力する武士がいても不思議でないのが、科学捜査の無い時代の藩の生き残り策かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.11 10:55:39
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