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カテゴリ:画家 眞山孝治
古代城柵として多賀城(たかのき)が建てられたのは、水の良さと良港に恵まれていたからだとの話を聞いたことがあります。小学生の頃、画家の眞山孝治から、律令時代頃まで、眞山荘前の田圃は、海だったことを聴いたことがあります。 それは、不動産関係者の間では常識だったようですが、東日本大震災直後までは、公的資料を確認したことがありませんでした。城柵としての多賀城は、海に近いところに創建されたことは、眞山の語り伝えからも理解できます。 現在の地下水の流れは、多賀城跡、特別史跡多賀城跡附寺跡 (とくべつしせきたがじょうあとつけたりてらあと)、東田中の旧半鐘(現在の酒屋店倉庫の西側)、JR仙石線多賀城駅西側の踏切(現在 高架下)の方へ流れていると、関係者から聞いたことがあります。その場所は、大雨後に水かさが増えるところで、踏切が水没したこともあります。 眞山は、江戸時代、仙台藩東山下折壁村(現一関市室根町折壁)の最後の領主の長男だと聴いた記憶があります。それは、1942年・昭和17年に多賀城村東田中字山崎に眞山荘を建築した際の作庭からも理解できます。 眞山は、戦時中に、野菜果物を栽培し、養鶏を行い、水を確保でき、水産物の購入も可能な地を、仙台人所有者から購入した書類も残っています。これらのことを総合すると、安全な地下水を確保でき、津波が到達したことが無い、岩盤が深くない土地を買い求めたのではないかと推量できます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.17 00:00:20
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