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カテゴリ:画家 眞山孝治
小生が小学校入学前の5、6歳の頃、画家の眞山孝治が写生旅行などで不在の際に、仙台から多賀城に来て、夕方と朝方のヒグラシの大合唱に感動したことは、昨日のことのように覚えています。その頃の豊かな自然に戻すことは、不可能かもしれないけれども、少しずつ戻さなければとの思いを強くしています。 昭和20年代後半は、畠に出ると、南側の仙石線の先に田んぼが広がり、川向の看板が見えました。東側の多賀城駅手前の道路には、大きくてカラフルな外車が、北側の米軍キャンプから砂押川の橋の手前まで駐車していました。 恐れ多くて悪戯する者などいない時代で、その後学んだ義務教育で、経済格差を知る度に、外車の一列縦隊駐車を思い出しました。北側の林越しには、田圃越しに高台に建つホワイトハウスと呼ばれている米軍の職員住宅が見えました。 当時の眞山荘は、米軍将校宿舎として接収命令が出たものの、眞山が交渉をして解除になったことを、夕食時に何度か聴きました。母が叔母から相続した当時は、小生が高校2年の頃よりも木々が多く、日陰が出来やすく、消えかけていた植物もありました。 周囲の道路や近隣の家屋への影響を極力減らしながら、子どもの頃にあった植生を戻そうと努めています。固定資産税への対応もあり、共同住宅3棟があるので、植生を元に戻そうとすると密植になります。 庭、畠、林の大地としての歴史を思い出し、気象条件の変化を考慮しながら、様々な生き物たちとの共生を続けたいと考えています。出来れば、食物連鎖の中で、ナメクジ対応も出来ればと思う日々です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.03 04:58:47
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