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カテゴリ:イギリスに関するもの
2006-12-14 「神様のいないクリスマス 」というイギリス人の投稿に 対しての僕のコメントを先に書きましょう。 http://www.ohmynews.co.jp/omn/News.aspx?news_id=000000003767 「神様のいないクリスマス」は不適切表現で、神様はいつでもどこでもいらっしゃるでしょう。「神様が見えない人が多いクリスマス」というのが正しいでしょう。イギリスでは教会に行く人が全体の2%。日本のクリスチャン人口は過去100年間ほとんど1%以下。韓国では人口の半分はクリスチャンで、中国のクリスチャン人口はすでに1億人を突破したと聞いている。アンドリュー氏のイギリス南東部とはきっとRamsgateあたりかな。海辺に並べてあるベンチはどれも美しい花で囲まれている。冬はドーバー海峡の風や雪で憂鬱でしょう。でもクリスマスは騒がしいロンドンの風景とは違い静かに楽しめるでしょう。クリスマスはボーナスシーズンとは限らない。恐ろしいクリスマス前の首切りの季節であることも忘れてはいけない。12月決算で毎日のように欧米で解雇のニュースが報道されている。解雇された人間にとってのクリスマスは厳しいなんてもんじゃない。ディケンズの「クリスマス・キャロル」の映画を見る元気もないだろう。解雇されなかった幸せな人々は家族集まって飲み交わし食べまくり、来年夏のホリデープランを話し合う。そしてクリスマス・イブから始まるクリスマス期間特別テレビ番組で人生とは何か、どんなふうに生きるべきや、愛とは、家族の絆とは、友情とはを考える季節。イブの夜には近くの教会に正装して家族で出かける。1年に一回の教会詣での人もいっぱいいるでしょう。今年も賛美歌をみんなで歌える幸福感を味わう。そして翌日ボクシングーの朝、新聞少年を待ちかまえるように小銭をあげる。「雨の日もありがとうね。」と。そしてその日から大手小売店では大バーゲン戦線スタート。来年1年ぶんまでショッピングをする。来年のクリスマスプレセントも含めて! 神様の見えない人にとってはクリスマスはなかなか忙しい季節なんだ。 *************************************************** 英文Ohmynewsの記事の編集部による和訳かな。 神様のいないクリスマス 宗教とは無関係なクリスマスでも、多くの人にとっては価値がある祝典だ アンドリュー・リード 2006-12-13 11:48 ロンドンのオックスフォード・ストリートはクリスマス商戦まっただ中(2003年12月撮影、ロイター) 英国の人々は、クリスマスで毎年たくさんお金を使う。定期的に教会に行く人は全体の2%だが、多くの人が何らかの形でクリスマスを祝う。経済界もこれをはっきりと認めている。年間小売販売高の20%から30%は12月になるからだ。多忙なクリスマスの季節が始まる前に販売できるよう、新しいおもちゃなどは前倒しで市場に並ぶ。 私があるチャリティー・プロジェクトに関してさまざまな企業に電話をかけていたところ、11月初旬の時点である園芸用品店のマネージャーからは、「クリスマス用在庫の準備をしているので、この会社の従業員はチャリティーに参加できない」と言われた。 毎年、私たちは自分たちのほとんどが信じていない、あるいは関連性を見出せないお祭りを祝うために、巨額の現金をしぶしぶ使っている。「クリスマスが宗教上の祭りとしての関連性を失った」と冷笑家が言うのは、まったく正しい。また冷笑家たちは、「クリスマスの『魔法』が保たれているのは、私たちから現金を巻き上げることに情熱を傾ける企業のマーケティングの男性たちのおかげ」とも指摘する。 私自身は、キリスト教徒の1人として多くの人がクリスマスを現在のように「無神論者」として祝うのは有益で、好ましい意義があると思う。 海辺の避暑地のようなイングランドの南東部に住んでいると、冬は少々退屈で延々と続く季節に思えてくる。クリスマスが12月25日となったのは、7日間続く異教徒たちの冬至の祭りと一致するようにしたためだと広く解釈されている。この解釈がどこから来たかを理論立てて説明するつもりはないが、この日は、暦の中でも最も歓迎される休日の1つだ。もしクリスマスがなかったら、冬に対して陰気な気分になる人が増えるに違いないと思っている。 クリスマスは、もはや多くの人々にとって宗教的な催事として祝うものではないが、私が見るところ、英国の大部分の人はそれでも前向きで家庭生活に貢献するような形で祝う。クリスマスには、家に他人を招くことを歓迎するようになるし、クリスマス気分は商品化されているという人もいるが、私の経験では、クリスマス用の明かりや飾りがついた街中の雰囲気は非常に良い感じになると思う。 クリスマスは、多くの人々にとって活動開始の時期にもなる。最近、(クリスマスの費用を貸し付ける金融商品を提供していた)フェアパック社のクリスマスの貯蓄制度が崩壊したが、多くのチャリティー団体が、恵まれない人々の生活の質を向上させるキャンペーンの出発点としてクリスマスを使う。 自分の宗教が何であろうと、クリスマス当日までの期間は人との交流には最高のときでもある。ボーナスがもらえる可能性もあることから、クリスマスはしばしば、普段よりも大きな投資をするときともなる。小さなころから、最大で最高のおもちゃをクリスマスにもらってきたので、貯蓄してきたお金を使うにはクリスマスは自然なときにも思える。 クリスマス・シーズンに企業が市場を品物でいっぱいにさせるのは、私たちがお金を使ってもいいと思っているからだ。ある程度の限度はありながらも、私たちは金銭的に羽を伸ばすために一定の時間が与えられたことをありがたく思っているようだ。大きな買い物は、しばしばクリスマスまでお預けになる。親も他人に何かを与える行為を奨励するし、多数の人にとって、与える行為は気持ちが良いものだ。 私は、クリスマスの宗教的な側面をおろそかにするべきだとも、宗教的ではない人にとってもクリスマスは同様の意味合いを持つとも言うつもりはない。実際、英国の多くの人が現在ではクリスマスを祝っても神を信じていない。この範畴に入る人々は、自分がやっていることが深遠なものであるとか、深い意味で意義があると勘違いしてはいけないが、それでもクリスマスは宗教という意味からは非常に希薄になってしまったので、どんな宗教を信じる人であれ、すべての人がクリスマスを楽しむことができると思うし、そうしてはいけないということはないのだと思う。 (オーマイニュース英語版から〔12月4日掲載〕)©2006 OhmyNews ************************ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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