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Dec 27, 2006
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「のだめ」でもR☆Sオケのメインプロとして登場したこの曲は、交響曲史上に残る名曲だと思う。なぜそうなのか、いろいろな理由があり得る。それは、ベートーヴェンの第9に続く第10番と呼ばれるように似ている点があることに求められるかもしれないし、交響曲不毛の時代(実はシューマンの後20年以上、ドイツで正統派の交響曲は作曲されていないといわれているため)に敢えて挑んで交響曲の世界を復活させたことに求められるかもしれない。

ブラームスはこの曲を世に出すに当たって、尋常ではない慎重さだった。交響曲を作曲しようとするたびに挫折して他の曲へと転用されていき、最終的に最初の交響曲を初演するまでに20年かかったといわれている。しかし、いずれにしても、この曲は本当に感動する要素がたくさんあるし、調べていくほどによくできていると感じてしまうのだ。

この曲は2回演奏したことがある。長くオケをやっている割には意外と出会っていないような気がする。大学オケのOBエキストラとして出演した演奏会で初めて演奏したのだが、そのときは鳥肌ものだった。この頃は大学院生だったので、週末に時間が取れたことから、よく練習を見に行っていて、指揮もやっていた。この曲に接してスコアを読む作業の深さを体感したという点でも思い出深い。リズムをとること自体は一部を除いて相対的に難しくないのだが、とにかく音づくりはとても難しかった。自分の指揮のせいでおかしくなってしまうことが嫌でもわかってしまう瞬間があったし、逆に自由にさせすぎてしまうとダラダラと演奏が伸びてしまうこともあった。本当に指揮とは奥の深いものだと思った(もちろん、今でもそう思うことは変わっていない)。

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第1楽章:
序奏からティンパニの連打でひたすら上行音型というのが印象的。ここをどの程度の重さを持って進めていくのかが、かなり演奏のフレームを決めてしまうので難しいところだ。実は序奏で鳴っているティンパニの連打、ヴァイオリンの上行音型、管楽器とヴィオラの下行音型はすべて第1主題の素材が使われている。序奏は最後に付け加えられたそうで、相当考えて作られたように思われる。これ以上ないインパクトたっぷりの序奏である。

第1主題は音域が広く、弦楽器奏者泣かせなところがある(ブラームスの交響曲はどれもそうだが)。ちなみに、セカンド・ヴァイオリンはここでもひたすらリズムを刻んでいる。ベートーヴェンのような沸き立つような激しさではなく、むしろ脈々と血が流れているような感じがする。同時に和音においても重要な音をやっているので、これはセコバイ魂をくすぐる。

途中、長調に転調して第2主題となるが、ここでは「第2主題はコレ!」という現れ方をしないのが特徴的である。ベートーヴェン以前はかなりそれがはっきりとしていたものだが、ブラームスは逆にそれをぼかしているところが特徴である。単に古い形式をまねるのではなく、どこかにひねりを追加するところが心憎い。

その後静まってヴィオラの3つの音から発展していく盛り上がりが好きである。ヴィオラが弱いながらもはっきりと出てくる瞬間、その「ま」がたまらない。展開部ではコントラファゴットがうなり出すところがとてもいい。あえてこの楽器を使ったところが渋いなと思う。その先に「マグマが沸いて大爆発!」してその出口が第1主題という場所があるのだが、これがまた劇的でいい。後は調を変えての繰り返しに近い(といっても、楽器を変えたりしているのがまたひねっていてよい)。最後がゆっくりになって序奏と同じ構成の音をもっとやわらかくしたもので、静かにハ長調の和音で閉じられる。

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第2楽章:
個人的にはこの楽章が大好き。晴れた朝に道を歩くときにけっこう聴いている。最初の4小節ですでにブラームスの世界。問いは明るく、答えはちょっと陰のある調子で。半音階の上昇と下降を同時に鳴らす手法は第1楽章と同じ。いろいろな仕掛けが随所に埋め込まれている。途中、オーボエが楽章の最後に出てくる素材をさわやかに吹いて、さらに音符が細かくなり、明るさを増してテンションを上げていくも、なぜかさりげなく短調の方向へと引っ張られていく。

その後で短調と長調の世界が交互に登場して高揚するが、それが静まるととたんに明るい世界へ。最初の主題がリズムを少しだけ変えて出てくるところは一筋の光が差すようで感動的だ。そして、最後のクライマックスにソロ・ヴァイオリンの歌が登場する(といっても、実はオーボエとホルンが同じ音を吹いていてこれが単なるヴァイオリン・ソロとは違う味わいを出しているのだ)。このあたりの曲の作り方は見事だと思う。スコアを読めば読むほど素晴らしさが発見できる感じがして楽しくなる(といっても、まだまだわかっていないことがたくさんあるのだろうけど)。いつも聴いた後はさわやかな気分になる。

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第3楽章:
アレグレットで、ちょっとのんびりした気分が入っている。クラリネットが主題を吹き、チェロがピチカートで支えているところがさらにその雰囲気を強くしている。この主題もスコアをよく見ると、第2楽章の中間部にある短調の旋律と形が同じである。ちゃんと計算されているのだろう。この後フルートなどがすぐに出てくるのだが、その下で弦楽器はかなり難しいことをやっていて、これがまたブラームスだなと思う。聴いているだけでは気づかないが、いろいろな仕掛けがあることがスコアを見ているとよくわかる。短調の部分ではリズムをかなり弾んだ感じにしてみたりという工夫もある。

中間部はロ長調という調を使っているが、ブラームスはけっこうこの調をいろいろな曲で愛用している。といっても、速いスピードで使っている例は珍しい。このフレーズの途中でまったく違う調に変わるところがあるのだが、そのベースラインがまた半音階で上昇していく形で、第1楽章の要素を含んでいる。それが終わるとまた冒頭主題に戻るのだが、今度は3連符を伴奏に入れたりして、同じことを絶対に繰り返さないというこだわりが見られる。あとは最後に向かって静まっていく。短いがとても味のある楽章だ。

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第4楽章:
もちろん、この曲の中で最も有名な旋律が出てくる楽章。しかし、実は序奏からすでに工夫が満載である。スコアを見ると、この楽章で使われている要素がほとんどこの序奏の中に使われているのだ。意識しないとなかなかわからないのだが、こういうのがきっと「いい仕事」なのだと思う。

いろいろな要素が有機的に結びついて大きな流れを作るという美しさが交響曲の中にはある。ブラームスはそれをとことん追求しようとしたのではないかと思う。序奏の中にはさらに第1楽章の序奏に出てきた要素まで含まれていて、ここまでくると参ったというしかない。

その序奏が静まると、アルペンホルンのような調べがホルンで登場。すがすがしさの表現においては史上1,2位を争えるような感じだ。その後のフルート、その伴奏にあるトランペットの扱いもスゴイ。ちなみに、弦楽器はひたすら「ホゲホゲ...」という感じで伴奏。セコバイはここでつまらなそうに弾くと落とし穴、実は重要な音がけっこう含まれているのだ。ちゃんと仕事しないとダメだと思う場所だ。また、その部分にあるトロンボーンのコラールはカッコイイなあといつも思う。

そしていよいよ、超有名な主題。何も言う必要がないと思ってしまう。この場面、思い浮かぶのは草原の緑の草が風になびく様子を近い範囲で見ているような感じ。「なんて気持ちいいんだろう」という風に思えてしまう。第2主題は対照的に音が細かく揺れるようにできている。これらを要素としてこの楽章は展開されていく。その後しばらくはごちゃごちゃ言う必要がないという感じ。見事に展開されている。同じような旋律が繰り返される部分も決して単純な繰り返しではない、いつも何らかのひねりがあるのだ。

そして、音楽はコーダに突入、第1主題の要素を使いながらどんどん高揚してスピードを上げていく。ここはセコバイ&ヴィオラ泣かせの場所。木管楽器のシンコペーションをさらに半分の単位でシンコペーションしていて、しかも重要な旋律になっていたりする。混沌とは言わないまでも、それに近い形で盛り上がりを表現しようとしたのだろう。そこから抜け出すときに必ず「字余り」「字足らず」が登場する。練習しないといけないところだ。

抜け出したところで急速な足取りで旋律がスタートし、最初は静かだったトロンボーンのコラールが今度は高らかに鳴り響き。それを合図に最後に向けてどんどん盛り上がる。この最後の部分の弦楽器の旋律も第1楽章から素材をとっているのだが、まったく違うようにきこえるのがすごいと思う。最後は堂々とハ長調の主和音で曲を閉じる。カッコイイのでブラボー確率は極めて高い。

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あれこれ書いてみたものの、やっぱり最後は何だかんだいって「ええよなぁ~この曲!」という一言に落ち着いてしまう。ここで考えてしまうのは、「ネタがわかっていることが純粋に音を楽しむということから外れているのではないか」ということだ。

しかし、やっぱりわかっていてもいいものはいいと思うし、それはまた別の楽しみ方にもつながるからいいのかなと思う。演奏するという立場を経験している以上、ネタがわかっていなければならないわけで、逆にわかっているからこそもっと大事に弾かなければならないということを強く思わなければならないように思う。それが楽しくて幸せに思えるのならば、それでいいんだと思う。





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Last updated  Dec 28, 2006 12:26:49 AM
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