日本振興銀行の悪夢
小泉改革の一環として、金融の自由化が断行され、数多くの新銀行が設立されてきた。ネット銀行のような手軽なものから、為替取引や投資に重きを置く金融機関が生まれている。いずれもが小規模であり、本格的な金融機関業務を行うというよりも、自由化の旗に踊らされて設立されたというのが実態だろう。これだけ金融機関が存在する中で、独自性を打ち出すのは容易ではない。 企業に資金を貸し出して、利子を儲けるという過去の銀行の姿が絶対視されなくなった。莫大な資金を集めて安定した方法で資金を運用するというよりも、投資業務などで収益を上げるという欧米の手法に習うようになった。どこに投資するかは、銀行家の腕次第と見られていたが、自由化の旗だけでは収益を上げられない厳しい競争に直面している。 日本の場合、信用を第一にする金融機関でなければ存続できない。世界規模のメガバンクが多数あり、それらと互角に戦わねばならない。金融の美味しい部分は、とっくに分割されて、手の届かないところに祭り上げられてしまった。設立された新銀行が利益を上げていくかは難しい。中小企業は資金難に直面しているから、高利貸路線でも通用するという論理は甘かった。 設立されたばかりの日本振興銀行には、そもそも顧客がいない。にもかかわらず、赤字運営を認めないというのが金融庁の方針なので、あらゆる手段を練って黒字化を達成する必要があった。そこで、融資先を探す代わりに、債権を買い取りすることが始まった。自分たちで融資先を探すのではなく、商工ローンなどの債権を安く買い取って、そこから利益を生み出すという手法になる。 ところが、買い取った債権の中に危ない債権が多数混ざっていた。1000億円もの資金で買収したのに火傷するしかない。この事態が公開されると、多額の損失が生まれ、銀行経営が挫折する。そこで、徹底した隠ぺい工作が行われるようになったらしい。木村ワンマン体制だったことも、銀行内の批判の声を打ち消してきた。 金融機関が金を貸して利子を取り、営業を成立させるには信用が必要になる。信頼関係を築くには、長い期間が必要になる。高利貸しのような戦略で突き進んでも、世の中には受け入れられない。何のために閉ざされていた門を開き、特定の人物たちに利権を与えたかが追求されるだろう。今回の事件は政府の金融方針を複雑に絡み合っている。どうして木村グループに銀行免許が与えられたかが解明のカギになる。