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応仁の乱に始まった所謂「戦国時代」は
江戸時代の表面的な小休止を飛び越えて 平成の今日にまで及んでいる。そんな誰からも 聞いた事がない暴論・臆断を耳にしたら そんな無知蒙昧の輩は相手にするのも時間の無駄。 そう言って忽ちそっぽを向いてしまうでしょうか。でも しかし、これ中々奥の深い卓見では無いかと、私・草加の爺は 密かに自負しているのですよ。現代の戦国・乱世は グローバルに、地球規模に飛躍的に拡大・発展を遂げてはいる。 古代のsacred kinng(神の神聖な力を背景にした王)から war king(軍事力と言う実力で支配者の地位についた王)、そして 現代の実力者はpop king(人気と言う虚名によって支配する王) ― これは不肖私が勝手に命名して使っている呼称ですが、これも 中々的を射ていると言うか、言い得て妙だと自画自賛しているもの。 確かに徳川政権によって武力こそ封じ込めに成功しましたが 士農工商と名目の階級としては最下層に位置付けられた商人たちが 実力によって台頭し、明治維新後は国家の富国強兵策に乗って 政商・財閥としてのし上がり、敗戦後も経済発展一筋という 政府の方針の下に着々と力を蓄え、世界的な名声を見事に勝ち得た。 一応はその様に今日の商人・実業家・企業家を賞賛する事も可能 なのですが、王と呼ぶには風格乃至は人徳的素養に欠け、自己の 利潤追求のみを事として国民乃至、人民・大衆の幅広い幸福や 安寧を犠牲にして省みない偏狭な利己主義者過ぎる側面が邪魔している。 宣伝やコマーシャル・メッセージによる虚名的人気によって 合法的に庶民大衆から冨を一方的に収奪して憚らないのです。 現代は政治と言い、経済、芸能、学問、その他様々な分野でポピュラー である事が最大のステータスとなっているのが実情。それでは 次の来るべき時代の「王」は如何なる権威や実力で時代の支配者の 立場に就き得るのか?私の予想では士農工商の三番目に位置付けられた 工業者、つまり工業部門のスペシャリスト・名人級の職人たち が実力を発揮しfuture kingとなるのではないかと予想しております。 それは兎も角として、戦国時代を本当に制するのは私たち名も無き 無名の庶民であり、一人ひとりがそれぞれの工夫と努力で「豪傑」 たるべく己を磨き上げる事が何よりも大切だと考えておりますが 如何でしょうか。実力を十分に備えた「生甲斐豪傑」たちが手と手 とを携えて創り上げる「生甲斐共和国」こそ来るべき未来社会の 一つの理想形なのではありますまいか、そんな風に考えている 今日この頃であるます。本当は、何時の時代でも「生甲斐」こそ 人間の最も大切にすべき目標であり、ひと時たりとも忘れては いけない人生の大事であるべきもの。長寿という人類の夢も 量だけでは実も蓋もない。質の充実が伴わないそれは災いや苦痛すら 齎す事になるかも知れませんからね。じっくりとお考え下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月05日 23時38分46秒
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