近松の作品を読む その六十二
友達を投げさせて見てはいない男だ(與兵衛の詞)。逆さまに植えてくれんと、むずと掴めば振り放し、や、猪口才なけさい六(大坂者を罵って言う)、鰓骨(えらほね)引き欠いてくれべえと、喰らわす拳を受け外して、撲(ぶ)ち返し、叩き合い、掴み合う。 のう、気が通りませんよ、これはどうしたこと、喧嘩とは無粋な仕方、と小菊が間に枷に入り、ああ、怪我さしゃんすな、大事の身と花車が囲えば下女も手を引き立てて庇う。 そりゃ喧嘩よと諸人の騒ぎ、茶屋は店を仕舞うやら、二人は絶体絶命のぶん殴り合い、取っ組み合い、堤の片岸を踏み崩して、小川にどうどう落ち別れ。藻屑、泥土、堤から舞い散って沈んだ砂、互いに投げ合い掴み掛け、打ち合い打ち付け、扱い手(仲裁人)がいないので一方が倒れるまで勝負がつかない喧嘩だ。根気比べと見えるのだ。 折も折り(折もあろうに)、島上郡(こおり)高槻(たかつき、永井氏領三万六千石)の家の子(家来)、お小姓立ち(小姓から引き引き立てられて出世した)の出頭(しゅっとう、主君に気に入られて、その愛顧を受けている者)小栗八彌が馬上で裃姿、御代参(主君の代理での参詣)に徒歩の若党が揃いの羽織の濃い柿(濃い渋染)に智恵の環(わ)の大紋(九つの輪違いの紋)手振り(道具を持たない先払いの供)の、はいはい、はいはい、の声も聞かないで與兵衛が手繰りかけて泥砂、出会い拍子に馬上の武士の袷(あわせ)上下(かみしも)皆具(かいぐ、馬具一切を言う)までにざっくと掛かってしまったのも時の運、栗毛は忽ちに泥附き毛、馬が驚いて躍り上がり馬上も安らかではない。 與兵衛もはっと驚く所に、それっ、逃がすなと徒歩の衆がはらはらと取り巻く中、相手は川を渡り越して小菊も花車も手ばしこく参りの諸人に紛れ込んで退いてしまった。 徒歩頭の山本森右衛門が両脛掻いてぎゃっとのめらせて膝を背骨にひしぎ付けた。 ああ、お侍様、怪我(過失、思いがけない事故)でござるよ、御免なりませ。お慈悲、お慈悲と吠え面をかく。此奴め、慮外者。お小袖や馬具に泥をかけて怪我だと言って済ますわけにはいかないぞ。面(つら)を上げろと言って首をねじ上げ、やあ、森右衛門殿、伯父じゃ人。むむ、與兵衛めか、と互いにはっと驚いたが、やい、おのれは町人、いかようの恥辱をとっても疵にはならない。旦那(主君)から御扶持を被り、二字(通称のほかに二字の実名を持つ者の意で、武士たる者がの意)を首にかけた森右衛門、慮外者(不心得者)を取って抑え、甥と見たれば猶の事助けられぬ。討って捨てるぞ、立ちませいと小腕を取って引き立てた。 馬上の主人が、やい、やい、やい、やい、森右衛門、見ればその方の大小の鞘口(刀の鞘の鍔口を受ける所、鯉口)の詰めようが緩いぞ。ふと鞘走って怪我でもして血でも見れば、殿の代参は叶わないで、帰らなければならいぞ。参詣を済ませて下向するまでは随分と鞘口気をつけて、森右衛門、供をせい。供をせい。 はあ、はっとお言葉忝く、おのれ、下向の際には首を討つぞ。暫しの命だと突き放して、出来るだけ伯父の目にかからないように身を隠せと言いたいけれども侍気質、声には出さずに手振りで合図する。先供が手を振って通行人を制する、はいはいはい、さすがにさっぱりとした武士の仕方だと馬上の武士もこのことに拘泥せずに、御馬の足を速めて先を急がれた。 與兵衛はぼんやりとして夢から今覚めた如くに、酒に酔っているかのようで、南無三方、伯父の下向時には斬られてしまうだろうか。切られたなら死ぬであろう。死んだならどうしようかと、心は沈み、気もうわの空、逃げてしまおうと駆け出して、はあ、ここを行けば野崎、大阪はどっちだ、方角が解らなくなってしまったぞ。 こっちは京の方、あの山は闇(くらがり、大和・河内の境にある闇峠、野崎からは東南に当たる)か、それとも比叡山か何処かに行ったならば逃げれるだろうか。眼も迷い狼狽えて、あ、どうしよう、何としょうか、加賀笠姿のお吉と見るより、地獄に地蔵様と声を掛ける。 やあ、お吉様、下向ですか。わしゃ、今切られるのです。助けて下されい。大阪へ連れて行って下さい。後生で御座ると泣き拝む。 いや、こちゃまだ下向ではないわいな。七八町行ったのですが大変な人混み。こちの人を待ち合わせに此処まで戻ったのです。ええ、厭らしい、身も顔も泥だらけですね。気でも違ったのですか與兵衛様。 尤も、尤も、喧嘩して泥を掴み合い、跳ね馬に乗ったお侍にその泥が掛かって、それで下向の折に斬られてしまう筈、頼みます、頼みますと、側を離れず立ち去らない。 ええ、呆れ果てた、親御達が病になるのがお気の毒です。町内での向かい同士です、無愛想な真似も出来ず、茶屋の内を借りて着物を洗って進ぜましょうよ。顔を洗い、とっとと大阪に帰り、これからは気をつけられたがよい。また、此処を借りますよ。お清や、父(とと)様が見えたら母(かか)に知らせなさいと、二人は葭簀の奥に。長い日影も午(ひる)に傾いた。 さぞや妻子が待つだろうと、弁当をかたげ片方に姉娘の手を引いて豊島屋(てしまや)の七左衛門は喉が乾いているが茶を飲む間も惜しんで道を急ぐ。茶屋の前では中娘が、あれ、父様かと縋り寄った。 おお、待ちかねたか、母(かか)は何処にいるかと尋ねると、母様はこの茶屋の内で河内屋の與兵衛様と二人で帯を解き、べべも脱いで御座んすと告げた。 やあ、河内屋與兵衛めと帯を解いて裸になってじゃと、ああ、口惜しい、目を抜かれた。そうして跡はどうじゃ、どうじゃと訊けば、そうして鼻紙でのごうたり、洗ったりと、聞くより急き立つ七左衛門、顔色変わり眼も据わり、門口に立ちはだかって、お吉も與兵衛も此処に出ろ。 出て来なければ、こっちから踏み込むぞ、呼ばわる声に、こちの人か、子供がお昼を食べたがっている時分なのも忘れて、何処で何をしておいででしたか。部屋から出て来た後から與兵衛が、面目ない七左衛門殿、ふとして喧嘩で泥にはまり、色々とお内儀様のお世話。これも七左衛門様のお蔭です。忝ないと言う小鬢先、髪の髷も泥まみれ、体は濡れ鼠状態。 腹立たしいやら、可笑しいやら、與兵衛にはろくに挨拶もせずに、お吉、人の世話もいい加減にしたほうがよい。若い女が若い男の帯を解いて、そうして後で紙で拭うとは猥褻極まるぞ、至極疑わしい。よその事はほったらかして、さあさあ、参ろう、日が闌けるぞ。 おお、待っていました、詳しい事は道すがらにお話致しましょうと、お吉は姉娘の手を引いて、末の娘を抱いて行く。 中の娘は父親が肩車に乗せて、法の教えも一つは遊山、群衆を分けて急いだのだ。 與兵衛一人が茶屋の見世、ぼんやりと気抜けしていると、茶屋の亭主を始め辺り在所の五六人が、先から此処にいる人は今から参詣するのか、それとも帰りがけなのか。一つ所にうろうろとしていて合点が行かない。さあ、通ったと追い立てる。 折りから、はいはいはいの声に混じる轡(くつわ)の音、小栗八彌が下向の徒立ちで馬を従えて帰るのである。 與兵衛は狼狽えて逃げ損ない、押し割る供先、伯父の目に、かかる。このような不運な出会い頭で、引っ捕え、捻じ伏せ据え、最前は御参詣の途中だったが、今は参詣が済んで御下向するので血を見ても遠慮は要らない。討って捨てるぞと刀の柄に手を掛けた。 待て、待て、森右衛門、その者を討って捨てるとは何故、何故なのだ。彼奴(きゃつ)は最前の慮外者、他人ならば少々は見逃しも致し、御免なされ下し置かれるようの執り成しをも申すべきなのですが、きゃつが母は拙者の兄弟、現在の甥、何とも助け難い。と申しも果てないのに、して、その科とは一体何事なるか。 御尋ねには及びません、御服に泥を投げ掛け、御身を汚しよごした科、、いやいや、この八彌の身を穢したとは心得ない。これを見よ、着類の何処に泥が付いている。いや、召し変えられる以前のお小袖。さればされば、着替えれば泥はかからなかったも同然ではないか。 御意とは申しながら、既に御馬の鞍鐙(くらあぶみ)も泥に染み、御徒歩でお帰りなされるのは旦那に恥辱を与えた慮外者と、申し上げれば、黙れ、黙れ、馬の皆具には泥がかかるものゆえに、障泥(あふり)と言う字は泥を障つと書く。泥がかからないものならば、どうして障(へだ)つの字は入るのだ。恥辱も慮外も科もないぞ。武士たる者の恥辱とはただ一雫の濁水(にごりみず)も名字にかかったなら洗っても落ない。濯いでも去らない。あの様な下賤の者は自分の目からはただの泥水、その泥水で名誉が汚される筈がない。泥から出ても泥に染まらない蓮の八彌だ。名字は汚れない、助けてやれ。 はあ、はっと、また有り難き御意でござる。それを大事にいたしましょうと、供先が振る手を揃え、行列を立てて進行する。 仲 之 巻 掲諦(ぎゃてい)、々々、々々、々々、波羅掲諦(はらぎゃてい)、波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい)掲諦、波羅掲諦波羅僧掲諦、唵呼嚕(おんころ)々々旋荼利摩登枳(せんだりまとうぎ)唵阿毘羅吽欠(おんあびらうんけん)。 おん油屋仲間の山上講(山上獄、大和国吉野郡蔵王権現、参詣の講中、信者同士の組合、当時、関西では伊勢参宮と共に若者がここに参詣する風があった)、俗体ではあるが数度のお山参詣、院號(峯入りに年功を積んだ者は、山伏格に準じて院號が許された)請けたる若手の先達(せんだち、先導者)に若手の新客が交じり、十二燈組(月々に十二灯・十二文の灯明料を集めている講中、山上講と同じ)が吹き出す法螺貝のかいがいしげである、金剛杖、腰には腰当てを、首に数珠、腰には巾着の代わりに水飲みを下げて、河内屋徳兵衛が店先に立ち寄り、何と、與兵衛、内にいるか、内にいるかとやって来た。 講中、何事もなくお山を勤めて有難い。今日の下向は知れたこと。懇ろな友達は桑津(天王寺の東南にある村)まで迎えに来てくれたぞ。お主一人が姿を見せなかったが気色(きしょく、気分、健康)でも悪いのか。忝ない、御利生(ご利益)を見て来た。これが何よりもの土産話だ。先ず話をしよう。 西国者とやらで両目が潰れた十二三歳の盲が、大願かけて山上し、行者様を拝む中で、両方共にくゎっと開き、小篠(こささ)の坂(山上獄の入口にあり、峯入りの者はここで身を浄めるのが例である)を杖も突かずにつっつと下がった。 お山の衆が考え、ああ、有難い、この秋から世の中が直る御告げだ、あれ、合点が行かないか。小さい盲は小盲、即ち、米蔵を開いて易々と坂を降るのは、下がり口(米価が)との教え、手隙ならば夕方におじゃ。色々とお山の噺で旅の疲れを晴らそうわい、波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい)、掲諦々々とがやがやといい騒ぐ。 親の徳兵衛が走り出て、若い衆、下向か、殊勝に御座る。此方(こち)のどら息子は山上参りの、行者講のと、今年も身どもの手から四貫六百、順慶町の兄太兵衛から四貫、以上十貫近い銭を取って一体何処へお参りをしたのやら、それどころか山上講の下向だと言うのに出迎えにも行かない。神仏の罰も思わない道楽者だ。友達甲斐に引き締めて異見をしてやってくれまいか。頼みますと言っている所に、奥から母親が両手に茶碗、のうのう、目出度い下向、まあ、一つづつ参れ。 こちらの與兵衛が山上様に嘘をついたその咎なのでしょうか、妹娘が十日ほど前から風邪を引いて枕が上がらない。医者は三人替えたが今に熱が下がらない。端午の節句は近づくし、婿を入れる談合が決まり、先からは急いで来る、何かにつけて夫婦の苦労、みんな與兵衛ののらくら者が行者様に嘘をついた祟(たたり)でお若い衆、お詫びの祈祷を頼みます。と、しみじみと語れば、講中の先達(せんだち)、いやいやお山の祟りであるから、與兵衛に罰が当たるはず、役の行者(文武天皇の頃の人。役小角、大和国に生まれ仏法に帰依して、呪術をよくした。後に葛城山に篭り鬼神を駆使したと伝えられる)とも言われる仏が、若輩らしく(未熟な者のように)何で脇かかり(罪のある当人を差し置いて、関係もない者に祟ること)をなされようか。 娘御の熱病は又外の事。そのような患いには薬も医者も要らぬこと、皆様は知りませんか、あんまり奇妙で異名を、白稲荷法印(ここは山伏の俗称)と申す今の世の流行(はやり)山伏、與兵衛も定めし知っているだろう。この法印を頼めば本腹(ほんぷく、病気の全快)は一度の加持で事足りましょうよ。