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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2012年07月09日
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この様なブログで取り上げるには少々テーマが


大きすぎる嫌いがあるのですが、敢えて今回は挑戦


してみようと思います。遊ぶ、とは辞書によると「命令・強制や義務からでなく、


趣味・レクリエーションとして、自分のしたいと思うことをして、時間を


過ごす。狭義では、遊興や出歩く事をさす。仕事をしないで時を過ごす。


学芸の修行のために他郷へ行く」などと書かれていますが、私・草加の爺が


提唱するFYCのコンセプトでは「普遍・不変の絶対と、遊ぶ事で交流し


友好を深める事」の意味で使用しています。つまり、人間の行為・遊びの本質を


定義するとそうなると考える。したがって、極論すれば、生きる事は即ち


真剣に遊ぶ事だ、という主張になる。人間行為の最高の境地が、そのままで


イコール、遊ぶ事に直結する。ですから、一般に思われているような


無駄な、或いは、マイナスの要素は皆無だという事になる。別の言葉で



言えば、真の宗教心を獲得する行為が「遊び」だとも言える。既成の



宗教を超越して、宗となる教えに目覚め、その境地に没頭する行動。



そんな風に表現しても良い。宗となる教えとは、最も大切な教え。誰もが



一番に考えて生きるべき重要な指針。現代ではそれを一体誰が教え



後世に伝えているのか……。誰もいない、いや、避けて、意識的に避けて


済まそうとしているかのよう。何故、面倒だから。否、どうしたらよいのか



判断の基準がないから。政教分離だから。しかし、私たちにとってもっとも



重要な課題を棚上げにして、どの様な生き方が可能だろう、素晴らしい、生甲斐のある


人生が送れるとでもいうのだろうか。さて、ここで最初の命題に戻ろう。



人生の目的は何か?百人の人がいたら百通りの、一万人がいたら一万通りの


目的が解答できるし、それで何の問題もない。要するに、好きなように


銘々が好き勝手に生きたらよい。そういう話である。大和言葉に


「神遊び」と言う表現がある。神々が集まって、音楽を奏し、歌舞すること。



神前で、神事として奏する音楽。を意味するが、この場合の神々とは人間がまだ皆


神であった太古の時代の人間を意味している。人々が始祖と崇める大神と



共に、神聖な場所において、無心に遊ぶ。忘我の状態に入り、一切の



邪念を払って絶対と一体になる一種の儀式としてのプロセスが、遊びの本義。



個人は、時間的な、歴史的な観点からも、空間的、地理的な広がりからも



きわめて厳しい制約の下にあり、不変・普遍としての絶対を理解する事は不可能であるが



一体感を体感する事はできる。一瞬の中に永遠を感じ取る事は許されている。


この、今流行の言葉で言えば聖なるフロー、純粋な没我・陶酔状態が



遊びの本質にある。だから遊びこそは人間にとって本質的に重要な行動なのだ。







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最終更新日  2012年07月10日 23時57分45秒
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