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12 FYC・ふへんゆうこうくらぶ、とは・その六 私たちは普通、何かに囚われている「一種の囚人」です。自由を 奪われている点で、精神的な奴隷と呼んでよいかも知れません。お金・ 物・人・権力・名声、そして異性などなどに、執着して止まない 私たちの心と言うもの。「無知の知」を説いたソクラテスはまた、 「汝自身を知れ」との言葉を肝に銘じた人でもあったのでしょうね。 劇聖と崇められるシェークスピアの最高傑作と賞賛される戯曲「リア王」 の中で、主人公のリアが言う有名な科白には、こうありますよ。 「人間、外から付けたものを剥がしてしまえば、みな、貴様とおなじ 哀れな、裸の二足獣に過ぎぬ。ぬげ、脱いでしまえ、お前の着ている 借り物を!」(福田恒存訳による)と。 日本でも一般に、「裸で生まれてきて、死ぬ時は皆裸に戻る」と言ったりしますが この本の読者である貴方・貴女には、ご理解がいただけると思いますので 蛇足めいて付け加えることがあります。真相は、見た眼には裸には 違いないのですが、私たちは「四つの幸せ」と共に生まれ、死後も その事実に変りはないのです、と。ですから、どうかご安心下さい、心から。 現代とは、人間疎外と言う名の、生命疎外化現象の時代であり、取分け 日本人は、明治以降は特に「適応異常」に悩み、且、苦しんでおります。 そしてその有様は尋常一様ではありません。さらに、大部分の人々は その自覚すら持ってはいないのですから、事は益々複雑化し、時の経過と共に 一段と事態は紛糾するばかり。 心理療法家の河合隼雄氏はその著書の中で、人間の内的体験としての イニシエーション(通過儀礼)の必要性を訴えて、各人が銘々にその イニシエーションを自前で、自作自演しなければならないと、有難くも 忠告してくれていますよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年03月06日 09時39分27秒
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