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43歳・A雄 ― エリート人生の挫折 ― の場合 A雄は容姿端麗を、それこそ絵に描いたようなハンサムで、勿論 異性からも持て持てなのですが、同性の男性から大変人気があるのです。 それも今に始まったことではなく、幼少の頃からずっとそうなのですから、 凄いの一語に尽きます。 そればかりではありません。県下の有名高校から東京の一流大学に 進み、主席で卒業した後、これも一流企業に入り、そのままエリート・ コースを一直線に突っ走ってきた。そして30代にして部長職につき 近い将来の社長候補を自他共に許す程の、快進撃を続けてきた。 そればかりではありません。名門出の才媛と結婚して、周囲から 美男と美女の鴛鴦夫婦と賞賛され、夫婦仲もきわめて麗しく、一姫 二太郎の子供二人の子宝にも恵まれて、正に、人生これ順風満帆 だったのです、つい一年前までは。 その彼が過労で入院することになりますが、会社が世界的な経済の 大変動の煽りを受けて重大な経営危機に直面していましたので、無理を 押して2・3日で退院したのです。それが結果的には、最悪の事態を 迎える原因となったのでした。数週間の間、入退院を繰り返すうちに 結局ドクター・ストップが掛かって、会社からもエリートコースから 逸れる人事異動が発令されました。飽くまでも、一時的緊急避難的な 措置と、会社側も説明し、本人もその様に受け止めたのですが、一度 狂って仕舞った歯車はなかなか元には返らない。彼は重い鬱病と 診断されます。そうすると、何だかお先真っ暗で、自殺することばかり 考えるようになっていた。いや、最初のうちは無我夢中というか、自分が 現在何を考え、思っているのかさえ、気付かない状態だったとか。 私との初回のセッションに臨んで、A雄は述懐しています。 「絶望が絶望を呼ぶ、とでも言うのでしょうか。焦れば焦るほど、 考えが最悪から最悪へと一人歩きするように落ち込んで、歯止めが まるで掛からないのです」 「辛いですね、それは……」 「今考えると、不思議でしょうがないのですが、その当時は、つまり 自殺のことしか頭にない瞬間は、家族のことや、会社、友人のことは 一切が意識の外なのですね」 「本当に身に染みて辛い、死にたい、と感じる瞬間などと言うのは、案外 そんなものではないでしょうか、誰しも」 しばらくは仕事の事を忘れて、自分だけの時間に浸りたいとのA雄の 願を受けて、私は故郷の町に一旦帰ってみることを提案しました。すると 彼は、即座に「そうだ、帰郷して四国のお遍路さんじゃないが、あちこちの 神社やお寺をのんびりと、訪ね歩いてみよう」と、言い出したのです。 それは長い間彼が、無意識の裡に心の底に温め続けていた、一種の 夢だったのでしょう。実家の方は弟が継いで、年老いたご両親と共に 暮らしているようでしたが、その離れに身を寄せて、県内の神社仏閣を 巡り尋ねる気儘な一人旅を開始するのです。が、その前に彼の奥さんや 子供さんたちの事を、お話しておくべきでした。実は、A雄は私に相談を 持ちかけるに際して、一つの悲壮な覚悟を胸に秘めていたのです。 愛する妻や子供達との離別です。既に奥さんの実家から離婚を仄めかす 声が聞こえていた。事実、彼は奥さんに自分の方から離婚を切り出していますが、 その時奥さんは泣きながら拒否したそうです。私にも、妻や実家のご両親や 親戚筋との間に立って、離婚が成立するように上手く話を纏めてくれるように、 真っ先に依頼したのでした。 私は正直、そこまで踏み込むべきか否か、迷いました。結局、お引き受けしましたのは 私の身上とする、向こう見ずな性格と、ライフメンターを初めて名乗っている 者としての責任を痛感しての事でありますよ。と、申しますのも、彼 A雄のその時の立場が余りにも切羽詰った、危険なものだったからなのですね。 ここで私が引き下がったりしたら、それこそ大変な事になる―、その場の 直感でした。 彼の奥さんとお会いした際、私はこう言って切り出しました。ご主人は 現在、心身共に病んでいる状態です。休養が第一に必要なのです。そこで ご相談なのですが、彼が今一番心配しているのは奥さんと、お子さんたちの 事です。それが四六時中頭から離れず、気の休まる時がありません。嘘も 方便と言う言葉もありますが、ここはひとつ私に免じてウソを付いて下さいませんか ……、云々。 そして私はA雄には、話は全て彼が望んだ通りに運んだ。あとは私が昵懇にしている 弁護士が、然るべく処理をしてくれるので、何も心配する必要のない事。 会社の方も暫くは病気休職の扱いになるので、気兼ねなく静養に努める事が できる、と報告したのです。 二ヵ月後、彼は中学時代の同級生と出会い、同級生が経営するスナックの 手伝いをすることに決めたと連絡してきました。そして半年後、今度は 県庁所在地にあるホテルのバーのバーテンダーとして採用されたとの メールが入りました。そのホテルの支配人が仕事の関係で旧知の仲で、 偶然に街で出会い、話をするうちに誘いを受けたのだとか。 私はS市に赴き、A雄に会いますが、彼は見違えるほど健康そうで、 日焼けした顔には絶えず微笑がありました。近くの喫茶店で待機していた 奥さんと二人の子供との、感動の再会。そして家族四人だけの「再婚式」 と銘打った素敵なパーティ。私はその二次会に招待され、ライフメンター 冥利に尽きる至福の時を享受するのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年05月22日 12時48分54秒
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