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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2014年07月27日
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 私が野辺地を知ったのは、現在の家内、旧姓で柴田悦子と結婚してから

でありますから、もう既に四十数年前のことでありますね。現在、家内は

浅草の老舗料亭「浅草今半」の謂わば 看板お姐さん としてテレビの

番組やその他クチコミなどで全国的な人気を博している 凄腕の仕事人。

 私と出会った時は、新宿駅西口近くのごく小さな居酒屋の女将?(ちいさな店を

たったひとりで切り盛りしていた)でしたから、二十前後の若い娘が都内でも

有数の大歓楽街のど真ん中の飲食店経営ですから、色々とあらぬ噂が流布してもいた。

曰く、後ろに怖いヤクザの親分がついていて、少しでも客たちが手出しなどした場合

には…、などといった根拠のない作り話でありました。

 とにかく、あれよあれよという間に、わたしと悦子は結ばれてしまった。

これに関しても、色々と陰で憶測による、全く根拠のない噂が流れておりましたが

真相は当事者である二人にとっても、つい最近まで 謎 のまま残されていた、本当です。

当時、わたしはテレビドラマの若手プロデューサーとして華々しい活躍をしておりましたので

当然、私がいつものように「美人」で年若い娘を口説いたのだ。その様に、周囲の十人中

十人が皆、信じて疑わなかった。これに関して、釈明いたしておきますが、私は残念ながら

女性を口説くことが出来ない情けない男でして、家内に関しても同様でありまして、

一目ぼれした彼女が一方的に私にモーションをかけてきて、全く彼女の恋ごころに

気付かないでいた迂闊者の私は、最後に「アナタのことを好きなのです」と言う

言葉を耳にするまで、それこそ夢にもそんなことだとは知らなかった。余談ですが

私が60歳の定年で会社を辞めるときに、フジテレビの大プロデューサー・能村庸一氏が

幹事役を買って出て、「歌う送別会」を新宿のホテルで開催して下さった際に、その時の

メイン・ゲストはあのスター俳優の松平 健さんでありましたが、彼女・悦子自身が

挨拶の言葉の中で、「私が古屋を口説きました。但し、必ず幸せにしてみせます、とも言い添えました」

と証言して参加者一同が一様に口をあんぐりとさせたのでした。

 ノロケついでに申し上げますが、彼女は全く献身的に私に尽くしてくれました。そして

故郷である野辺地に私を連れて行ってくれたのでした。当時から野辺地はホタテ貝の養殖で

有名でありました。東京生まれで、東京育ちの私には海有り、山有り、人情有り

と三拍子揃った田舎は本当に有難い場所でありましたよ。義理の兄・登さんがご馳走して

くれたホヤの塩辛。そして青なまこ。新鮮この上なく、感動ものでしたね、実に。

 家内が生まれ育った実家の裏庭の直ぐ外が陸奥湾で、幼い彼女は水着もつけずに

生まれたままの姿でよく泳いだとか。それから、取れたてのウニを船の中でカラを

割ってスプーンですくって食した時のあの旨さ!感動、感動の連続でありました。









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最終更新日  2014年07月27日 13時50分13秒
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