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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2016年07月14日
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             第 七十一 回 目


 力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をも、憐れと思わせる

――― と、先人は説いた。が、己の心の中に在り、胸底に渦巻いている万感の想いを、

言葉に託すことは、蓋し至難の業であろう…。言葉に掬われ得ず、表現として形を成さずに

滅んでいった数々の感情や想いたち。それら、無数の恨みを嚥んで虚しく幽冥界に、今尚

彷徨い続けているに相違ない、忘れられた情念、そして感情たち。無数の 亡者 たちが

言葉を失って、茫然自失している義清の耳元で、嘲り、罵る声が聞こえてくるようだ。

以心伝心、無言の裡に相手の心をそっくり感じ取り、また、こちらの想いが先方に通じる

ものなら、どんなにか人の心が休まり、安らぎを得ることが出来るであろうか…。

 何も言わずに心が相手に通じる場合とは、始めから分かりきっ事柄だけ、言わずもがなな

内容のみ。本当に、真剣に伝えたい心は、まだ母親のお腹の中にあって、顔も形も分明でない

胎児の如き、正体不明の存在である。流産し、或いは、母体の安全の為に故意に堕ろされる

嬰児たちが、この世の日の目を見て、健やかに生い立っている子供達より、劣っているとする

理由など、何処にもないのだ。恐らく、数の上でも圧倒的に多数であろう、水子たちの霊が

和歌の道、言葉の芸術の天分を豊かに賦与されていると、自他共に認めている義清の、現在の

為体(ていたらく)を見て、蔑み浅んでいる様子が、眼前に彷彿とするのである…。

 恰も日光を受けて濡れているかの如くに映じる、玉砂利から視線を転じ、松の枝に懸って澄み

渡っている、月の面を眺めると、義清の波立っている心が、苛立った気持ちが鎭まり、冴え冴え

とした晴れやかさが、次第に胸中に漲って行く。

 酒の酔いも程良く全身に廻って、陶然たる恍惚感が、忽ちに彼の躯を支配していた。月に酔い

また酒に酔い、そうして切羽詰つた己の妻に対する、苦しい釈明の義務感から解放された義清は、

急に唄を歌いたいような、気分になっていた――


 またもや残暑がぶり返して、真夏を思わせる強い太陽が、校庭一杯に照りつけている。木曜日の

放課後であった。眞木が図書室で調べ物をしていると、佐々木法子が入ってきた。

 法子は、教頭が隅にいることには気附かず、真っ直ぐに、校庭に面した窓際の書棚の方に、進んだ。

しばらく何か本を探している様子であったが、やがて一冊の分厚い百科辞典を手にして、眞木のいる

隅の机にやって来た。眞木の斜め前の椅子に腰を下ろしてから、始めて彼の存在に気附いたらしく、ぎくりと

したように、一瞬教頭の顔を見た。眞木の狼狽の方が、法子の驚きよりも強かったであろうが、少女は

教頭に黙礼しながら、頬を赧く染めた。彼は心の動揺を誤魔化す為に、エヘンと一つ咳払いをして、後は

全く少女を無視した如くに、目の前の資料のファイルに視線を落とした。そして、熱心に内容を検討する

風を装った。が、彼の全神経は、少女の方に集中していた。常に眼の隅に、斜め前の少女の存在が、捉え

られている。

 佐々木法子はしばらくは躊躇するように、辞典を閉じたまま、顔を伏せるようにしていたが、教頭が

自分のことなどは眼中に無いように、書類に見入っている気配を察してか、やがて思い切った如くに

ページを繰り始め、何かの項目を一心に探している。全身を耳にしている眞木は、少女が何について

調べようとしているのか、ひどく気に掛かるのだ。そのうちに眞木は我慢が出来なくなって、身を

机の上に大きく乗り出し、少女の読んでいる頁を、上から覗き込んだ。果たして、彼が予期した通り、

法子は「売春」の項目を見ていたのだ、しかも、それは彼が最初に思った百科全書や辞典の類ではなく、

六法全書などの法律に関する辞典である。彼は咄嗟に、全ての事情を、了解していた。母親のみならず

法子までが、不純な行為を犯していたのだ。彼は直ぐに、どこか適当な場所で、少女に厳重な注意を

与えなければいけないと、考えた。何故か、ここでは、校内の図書室では都合が悪いと、思った。

 他の生徒たちや担任の尾崎の目につかない、静かな場所。出来れば全くの二人きりになれる、秘密の

場所が必要であった。…気が附くと、いつの間にか眞木は、校門を出て、バス停がある方向とは逆の

公園の方へと、足早に歩いていた。佐々木法子は、そのあとから素直について来る。その法子が、何を

考えているのか見当もつかないような、無表情な顔付きをしているのを、眞木は後ろを振り返って

見なくとも、解っていた。

 公園には意外なほど人影が多かった。寄り添うように散歩する、高校生らしい男女、子守をしている

老婆、ベンチに腰掛け所在無げにスポーツ紙に目を通している労務者、ブランコや滑り台で遊んでいる

幼稚園児と母親など、どこの公園でも見られる風景であった。

 眞木がちょっと困ったようにしていると、こちらの心理を見透かした如くに、法子が「いい場所を

知っている」と言って、表通りに向かって歩き始めた。眞木が慌てて後を追うと、法子は折りから

通りかかったタクシーを停めて乗り込み、眞木に対して急ぐように、手で合図した。眞木が急いで法子の

隣りに乗り込んだのと殆んど同時に、タクシーは猛烈な勢いで、走り出していた。彼が乗る前に法子が

既に行き先を告げているのか、ドライバーは目的地を心得顔に、スイスイと車を走らせ続ける。

 法子は、まだ新しい手提げカバンを膝の上に載せ、その上にきちんと両手を重ねている。恐る恐る

横目で、法子の顔を盗み見してみる。血管が透けて見える、白い、潤いのある肌。そこに密生している

細い綿のような産毛、濡れて、形のよい、弓型に弧を描いて、伸びている睫毛。それらが、窓からの

逆光を受けて、眩く輝いている…、眞木はこの少女の不行跡を、厳しく窘め、叱責しなくてはならない

自分の立場を忘れて、少女といることの幸福感と、満足感に浸った。









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最終更新日  2016年07月15日 06時41分11秒
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