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第 九十四 回 目
翌仁安三年十月十日の夜、西行は賀茂に詣でた。人生における二度目の大旅行・四国 行脚の出発の為であった。生きて再び都の土を踏むことはないかと、考えると、自ずから 涙が浮かんだ。 三十歳代の壮年時に行った陸奥への旅とは、何もかも相違していた。あの当時は、闇雲な 情熱に衝き動かされるようにして、一種悲壮な覚悟を固めてのそれであったが、何と言っても 若かった。己を見極め、己の正体を掴みたいと、必死であった。ああするより他に、どうしようも ない、ぎりぎりの気持ちに追い込まれていた。 今度の旅は、それに較べると、心に余裕とゆとりのある旅だと言える。が、決して楽なもの だとは言えない。第一に、体力にかなりの衰えが、見えている。悲壮感こそなかったが、途中で 何時果てるとも知れない寂寥の想いは、同様であった。 四年前に讃岐で悲憤の裡に没した崇徳院の御陵を、実地に弔う事と、仏教上の師と慕う 弘法大師生誕の地を、訪ねることが一応の目的と、言えば言えたが、西行の名が示す如く お天道様と月とを追って、西方へ旅する事自体に、大きな意義を感じている。その意味では、 今度の旅は自分自身のたどった、人生の確認の為のそれだと言えようか。何時、命を終えても 悔いは無いと、自然に思えるのも、その故である。 しかしそれにつけても、気掛りなのは例の夢の、内容であった。あの夢は一体全体、自分に 何を語り、何を予告しようとしているのか? 夜の境内には、参拝者の影も見えず、静まり返り、寒々とした月光だけが、隅々にまで 溢れている。 ― 身も心も引き締まる、神聖この上ない、静寂の時であった。幼い子供の頃 から参り慣れたこの神社にも、再び足を運ぶことはないかもしれない…、西行は玉砂利を 一足また、一足と踏みしめるようにして、賀茂の杜を抜けていった。 京の外れから備前の児島まで、西住という高野聖と同行した。京都周辺への小旅行などで、以前にも 何度か同行したことのある、聖だった。さる没落貴族の末裔である、病弱で、温厚な性格のこの 人物・西住とは、奇妙なくらいに気が合うのだ。およそ共通する所のない二人が、こうして肩を 並べて旅するのも、前世の宿縁なのであろう。病気の縁者を訪ねるという西住と別れてから、 西行は日比、渋川を経て四国に渡り、白峰に参拝した。 崇徳院の墓所は山の中の、草の生い茂った、如何にも寂しげな場所であった。遠くの森を 風が渡っていく音だけが、微かに潮騒の如き響きを伝えてくる―。想えば、人間の運命とは何と いう数奇な波乱を秘めていることか!この、見るも無残に荒れ果てた陵墓を、目の当たりにするに つけ、新たな感慨に胸が締め付けられる……。 崇徳院の生母・待賢門院を巡る白河法皇と鳥羽法皇父子の愛憎に始まり、崇徳院と鳥羽法皇との 屈折した親子の心理、待賢門院を追い落とし鳥羽法皇の意思を左右するに至った美福門院に対する 崇徳院の怨念、そして対立者として出現した実弟・後白河天皇との抗争と敗北、更には、残忍 無情な処罰に依る流刑地での、孤独極まりない死。 人間として最高の血統に生まれ、地上最大の権力と地位とを、当然の権利として自分の物とした、 大貴人の一生が、斯まで深い悲哀と、限りない苦渋に満ち満ちていたとは。しかも、この現世 での生涯を終えたあとも、誰一人顧みる者の居ない荒地に見捨てられ、御霊の慰められる折りとて ない有様。如何に、お寂しかろう、如何にご無念であろう―、西行の胸中には、この悲運の法皇 に対する強い同情と、愛惜の想いが今更の如くに、こみ上げていた。 人として生まれ、この世に生きて行く事の辛さ、切なさ、悲しさを思わずには居られない…。 両親、兄弟姉妹、妻子、朋友・恩人―、そうした懐かしい人間関係を、考えない訳にはいかなかった。 自分は、崇徳院に比べた時、如何に豊かで、恵まれた人間関係に、浴していたか。そして、それらの 関係を一応断ち切った現在でさえ、その楽しく、爽やかな想い出は、彼の中で今も尚生き続けている。 自分は、西行は、懐かしく、嬉しい人々と共に、今後も生き続けることが、可能なのである…。 「院よ、許させ給え!!」 ― 己は自分の身の倖せを噛み締めよう為に、御身の御不幸を想いやった のではない。御身の比類のない悲劇の人生を、唯虚心に追懐し、心の底からの御同情と万斛の 涙を灌がんものと、念じたに過ぎない。どうか愚僧の意のあるところを、お汲み取りください。 拙い念仏を御嘉納戴きたい。西行は心を籠めて合掌し、院の墓前に深々と額づいた……。 崇徳院を退け、朝権収攬に成功したかに見えた後白河院も、今は新時代の実力者・平清盛の前に 無念の臍を噛んでおられる。そして、その清盛も、次なる覇者の手に政権を引き継ぐ為の、一 階梯として大きな歴史の潮流の渦に巻き込まれ、やがて跡形も無く没し去ってしまわないと、 誰が断言し得ようか…。 諸行無常の御仏の教えが、この時ほど痛切に実感されたことはない。暮れなずむ夕べの空に、 微かに瞬く星影が一つ、二つ、地上の西行を見下ろしている…。 弘法大師空海の説いた真言の教理が、自然に脳裡に浮かんでいる―、地・水・火・風・空・識の 六大から縁起した人間が、死して再び六大に還元する。全ての行為が原因であり、同時に、結果でも ある。異なるのは、様々な過程(プロセス)であり、其処に於ける人々の表現であり、感情である。 徹頭徹尾一貫している原理・原則は、万人に共通であり、その限りにおいて公平であり、平等で ある。 しかしながら、その中にあって個人とは、又、個人の意志とは、如何なる意義を有しているので あろうか?人の子としてこの世に生を享けた個人に、絶対の自由はない。それぞれに異なった宿命 を背負って、生きるべく、決定づけられて居る。ある意味で、身動きが出来ないくらい、雁字搦め に束縛を受けている。が、その己の 真の姿 に気づいた瞬間から、彼は「不自由」でなくなる。 「自由自在」に生きることが可能となる。それは彼が身に負っていた宿命から、まんまと逃れ おおせた事を意味しない。逆に、己の宿命と正しく相対し、敗れると解った戦いを、敢然と 開始することを意味している。その時の彼は、正しく「真の自由」を獲得したと言い得るので、 それ以外の如何なる使用法に於いても、個人の自由とは死語に等しい。又、個人の意志とは、彼 の宿命を離れては、無意味に近い。 してみると、空海の説き明かす 即身成仏の秘法 とは、銘々が各自の逃れ難い宿命を自覚的に 受け止め、それと真っ向から対決する、その根本の姿勢を指し示している、のではあるまいか? 白峰を辞し、弘法大師ゆかりの地に向かう道すがら、西行はその様な考えを、心の中で反芻していた。 三刧成仏の伝統思想に対峙させた空海の、目を瞠るような力強さ。更には又、彼が現実社会に対して 執った驚くべき積極姿勢。生涯を貫いた現世至上主義とも取れる超人的で、爆発的な実践行動力の 根源には、自己の宿命を確実に見据えた者の、強烈な自信と、それ故の、完璧な自己表現が鮮やか に浮かび出ている……。 限りなく人間的、しかし、殆んど広大無辺と感じられる、慈愛と信頼とが、一人一人の人間に 向けられているではないか。有難い御仏の愛が、ものの見事に、空海の人間性の中に、生かされ ているのである――。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年10月15日 09時39分23秒
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