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第 百二 回 目
昨日、鎌倉市の大船に新居を構えた長男の貴信から、SNSで連絡が入りました。青森県の 八戸市で半朗読の会が開催されたニュースに関することでした。私が野辺地の町おこし の第一歩として「読み聞かせの会」から、立ち上げようと目論んでいる事を知っている 倅が、その関連で知らせてくれたもの。早速、さっとそのニュースに目を通して見ました。 Web東奥によりますと、第5回のはちのへ演劇祭「てくてく」が11月13日まで八戸 ポータルミュージアムで開かれた。南部町出身の俳優仲坪由紀子さん(45)が脚本、構成、 演出を手がけたもので、市民参加型の新しい形式の演劇だった模様です。 私も2、3年前に草加市において、市民参加のお芝居に参加させて頂いた経験が、あります。 その折には、大変貴重な経験をさせて頂いたと、深く感謝しております。 私が今回計画している試みのプランは、これらの演劇的なパフォーマンスとは似て非なる、 全く性質の異なる、物と捉えて貰った方がよいと思い、息子の親切を利用して、説明しようと 考えた次第です。 皆さん方もご存知の通りに、私は元テレビドラマのプロデューサーです。テレビ大好き、 映画ファン、芝居好き、演劇の大々、大ファンでありますが、それで「読み聞かせ」から 始まり、舞台劇に至るエンターテインメントのプロジェクトを案出した訳では、ありません。 動機や思惑は大切でも重要でも無いにしても、目的が一緒なら、同様なら、同じような物。 そう一応は言えそうですが、さにあらず。目的が違えば、プロセスも異なる。従って対象 に対する接し方、心の在り方がまるで相違する。ですから、全然別個の事柄、一見しては 同じように見えるが、中味は全くの別物。そう、取り敢えず解釈して貰った方が、行動を 起こし、活動を継続する当事者も、それを応援し、暖かく見守って頂きたい支援者の方々 に対しても、為になるし、第一に親切ではないかと、愚考致したからのクドクドしい 説明であります、はい。 今度の目論見の最大の眼目は、その最大の「売り」は 方言 であり、方言に尽きる のであります、実際。 もっと本質的な事を申し上げれば、言語・言葉の持つ魅力を最大限に引き出し、その 恩恵をみんなでエンジョイしよう。言葉の魅力に酔いしれようではないか。言葉の神様 の お神輿 を新たに創造し、野辺地町民を中心に、日本国民を巻き込み、やがてはグローバル な規模での祭典へと発展させよう。そういったチャレンジなのであります、実のところ。 どうも話が飛躍しすぎるようで恐縮なのですが、これが掛け値のない私の本音。この 本音を頭の何処かに置いて、これからの私の申し上げることや、行動することを観察して 下されば、本当に有難いと思います、お互いの幸福の為に、であります、相互のウィンウィン の関係を構築するに当たっても…。 言葉とは、最初は場所が何処であっても、皆話し言葉から出発しています、当たり前 過ぎる指摘ですが。従って、始源的に「方言」が本来の、在るべき姿なわけで、個人に とっても、集落や村、町などにとって固有であり、身近であり、生活に密着した言語の 存在スタイルなのです、そもそもが。先回りするようですが、ですから標準語などと呼ばれる 一種の 人工的な共通語 は、便利を追求するために、窮余の一策として案出された、作り 物でしかありません。自然発生的に成長し、身近な日々の生活の息吹を吸収しながら、人々 の体温と共に生きて来た、歴史の活力を内側に取り込んで生きて活動している、方言の持つ 固有の土地に由来する表情豊かで、生命力に溢れた、表現力や想像性に勝るものは、ない のであります。 古代日本人は言葉の体系の素晴らしさを 「言霊(ことだま)」 と言った表現で、言い表し ていました。非常な慧眼を備えた認識であり、敬服の至なのでありますが、今日の非常に 浅薄な 言語=道具 説の「目くらまし」に遭っている現代人には、直ぐにはピンと来ない 成熟し、大人の常識を豊富に、そして深く弁えていた彼等にあっては、至極理屈に合った 合理的な解釈であった。 言葉は生き生きとした柔軟な たましい を所有した、巨大な生命体である。自分たち 人間と同等に、そして更に我々を活動的に、融和させ、力付ける多彩な魅力に溢れながら、 益々成長を遂げて行く、驚異の生き物だ。生き物であるからには、魂・霊が有るのは理の 当然であろう― そんな風に、至極当たり前な態度で「言葉の大樹」と接していたので ありますね。如何ですか、先人たちの賢さに、今更ながら頭が下がる想いがするでは ありませんか……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月17日 12時57分13秒
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