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第百二十一回目
今回は、ちょっと考える事があって、宮沢賢治の童話を、取り上げることにしました。 「注文の多い料理店」 二人の若い紳士が、ぴかぴかの鉄砲をかついで、白熊のような犬を連れて、山奥に やってきました。それはだいぶ山奥で、案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて どこかに行ってしまいました。それに、あんまり山が凄いので、犬が二匹ともめまいを起こして 死んでしまいました。 風がどうと吹いてきて、草がざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 「どうも腹がすいた。さっきから、横っ腹が痛くてたまらないのだ」 「ぼくもそうだ。もうあまり歩きたくないな」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを言いました。ふと後ろを見ると、 立派な一軒の、西洋造りの家がありました。「西洋料理店 山猫軒」という札が出ています。 二人は喜んで玄関に立ちました。その戸には金文字でこう書いてあります。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」 二人はひどく喜びました。二人は戸を押して中に入りました。そこは直ぐ廊下になっていて ガラス戸の裏側には、「ことに肥った方や、若い方は大歓迎いたします」。 二人は大歓迎というので、もう大喜びです。ずんずん廊下を進んで行きますと、今度は 水色のペンキ塗りの扉があります。上には黄色な文字で「当軒は注文の多い料理店ですから、 どうかそこはご承知ください」と書かれています。二人は早くテーブルにつきたいのですが、 注文が次から次へと出てきます。髪をきれいにとかし、靴の泥を落とすように書いてあります。 その次には、鉄砲と弾丸(たま)を置くように、帽子と外套と靴をとるようにとの、注文です。 その通りにすると、こんどは身に着けているもの全部を金庫の中に、入れました。 するとこんどは大きなツボがあって、中のクリームを体中に塗るようにとの、注文です。 すると、すぐ前に次の戸があり、「料理はすぐにできます。早くあなたの頭に、香水をよく 振りかけてください」とあります。そのビンの中の香水は、なんだか酢のようなにおいが しました。そして、最後には壺の中の塩をよく摩り込むように、注文です。 さすがに、二人はおかしいぞと感じたのです。そして急に恐ろしくなりました。がたがた 震えが止まらなくなったのです。二人は恐ろしいヤマネコたちに食われそうになっていた のでした。 この危機一髪の状態を救ったのは、二匹の犬と、専門の猟師でした。こうして命を 落とさずに済んだ紳士二人ですが、恐怖のために紙のように青ざめた顔は、東京に帰っても もとには戻りませんでした。 今日の世相を考える時に、いの一番に問題にしたいのは、地球規模の 経済戦争 であり 巨大企業を中心とした苛烈・峻烈を極める企業戦争、食うか食われるかの肉弾戦であります。 それはもう明らかに、第三次世界大戦そのものであり、東西両陣営に分かれての所謂 冷戦の、当然の帰結として地球上に齎された事態なのであり、心ある有識者などによって 夙に警告が発せられてはいたのですが、「戦争」とう表現は飽くまでも比喩であり、喩えとして 用いられているに過ぎない。識者も、それを受け止める大衆も、どちらも現実の様相を直視 して、白を白だとは言わなかった。戦争ではないのだ、だからそれ程心配には及ばない。 誰もが、そう思い込んでいた。疑わなかった。殺戮兵器を使用した、核爆弾を用いない 戦争が勃発しない限り、大丈夫、心配ない…。脳天気に、そんな風に自分たちを慰めていた。 所が、現実を自分の目で見、世の中で起こっている事柄を、自分の耳で聞きさえすれば、 たちどころに明らかになる。戦争だ、世界中を「戦場にした」恐ろしい、兵器なき戦争が 真っ盛りどころか、終末期の惨状を呈していることは、誰の目にも明々白々なのに…。 そいう視点から、昨年末にニュース等で大きく取り上げられた、電通新人社員の過労死の 問題を、改めて今ここで取り上げて論じてみたい。それが、私・草加の爺の 下心 であり ましたよ。 新聞報道などによりますと、女子社員は東大を優秀な成績で卒業し、性格も良く、美人で 誰からも好かれる模範的な、人柄だったようです。それが何故に、自らの手で「地球より 重い」自己の命を絶たなければならなかったのか…? 私は敢えてこの優秀な新人女性の死を、第三次世界大戦の犠牲者の、戦死者の典型例で あると、断じたいのであります。素直で、優秀な若者を、これ以上犠牲にしてはいけない! そう声高に叫びたい。世界中の心ある人々に強く、強く訴えたい。 と同時に、゛自分の命は、自分で守る ” ー どの様な時代、どのような社会が到来し ようとも、残念ながら自分の命は自分の手で守るしか無い。 この峻厳なる「人間的事実」を、肝に銘じて忘れずにおこう。絶対に忘れては、いけない。 こう主張したいのでありますね、猛烈な怒りの感情と共に。 と、申しますのも、今の社会の在り方と、その社会に生活する個人との両方に、或る種の じれったさの意識を持たざるを得ないから、なのですよ、実は。 どれだけ学校の成績が良くても、また親や、目上の大人達から高い評価を受けていても、 自己を 奴隷の立場 に追い込んだりしては、いけない。そのような愚を犯しては、絶対に 駄目だー。大企業という絶大な権力に抵抗できず、この世で最も大切な生命を、自分の 手で投げ捨てた。遂に、投げ捨てさせられてしまった、ずるずるとのっぴきならない立場に 自分を追い込んでしまった、無残至極にも…。 彼女は、そういう意味で 真の教育 の恩恵には浴すことが出来ては、いなかったと言える。 更に言えば、死者に鞭打つようで、本当に言いにくいのですが、「正しい学び」をマスター 出来ていなかった。逆に言えば、現在の教育の犠牲者でも、あるのでした、ある面では。 一般論として言えば、学歴社会でのエリートと称される若者たちに、共通して見られる 同質の弱点を、指摘せずにはいられない。つまり、厳しい現実社会を生き抜く上での、 本質的な、それ故に最も根本的な 知・英知 の欠如・欠落化現象であります。 彼らは例外なく、根柢の所でひ弱で、もろく、愚かなのですね、残念至極にも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月13日 10時44分36秒
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